急流の手取川と新幹線どちらが早い
日本の三名山の一つ白山に、地元に住まいしながらまだ登ったことがない。せめて車ででも走ってみようと、福井県境の谷峠に立った。緑の山並みの隙間から、雪をかぶったままの白山が目にまぶしい。トレッキング愛好家の気持が少し理解できた。
初めての道路だったが、予想よりも車の台数が多い。いよいよ車で駆け下り始めた。意外なことに、目の前を、勤務先のバスが走っている。何故こんな場所を? といぶかりながら追いつこうとしたが、バスのほうがスピードが出ていて追いつかない。とうとう見失ってしまった。
渓流が手取川ダムに流れ込んでいる。ダムも初お目見えだった。後は谷沿いに一気に海へ向かうだけである。白峰、吉野谷、鶴来を過ぎて早、目の前は加賀平野である。霊峰白山の水の恵を肌で感じながら、石川県の歴史を刻んできた扇状地を走った。国道8号線に出たが、金沢外環状(海側幹線)の工事地点まで来て、海岸線に向かうことは諦めた。
それにしても、1時間半ばかり、海岸線までの距離が短くて急流となり、暴れ川と畏怖されていた流れを体感した。
いま、この扇状地で、秘められていた歴史が掘り起こされている。昔からの水田地帯として栄えてきたことで、地中に眠っている遺跡、遺物が発掘されることは少なかった。
このためか、加賀百万石は喧伝されるものの、それ以前の歴史が詳しく語られることは少なく、文化的水準の低い、単なる農村地帯と思われがちだった。が、ここへきて埋蔵文化財の発掘のニュースが目立つようになってきた。商業集積地としての開発や北陸新幹線の車両基地建設に伴う発掘事業が必要になってきたからである。
車両基地の用地からは広大な範囲で遺跡が分布しているという。多分、用地の外側も同様の状況であろう。発掘は着手されたばかりだが遺跡の多さに、新幹線の開業にも影響が出ないか、心配されているという。
しかし、拙速は避けて欲しい。古里の歴史を知るチャンスだからである。石川県はこれまでも、北陸自動車道や能登縦貫道路(現能登有料道路)の建設に当たって、一向一揆で滅んだ富樫氏の居城「高尾城」、古代豪族の本貫地である石川工専付近の古墳などを、十分保全せずに破壊してきた先例があると指摘する向きもある。
県外出身の知事さんが、百万石以後にしか歴史が存在しない、と思って行政の指揮を執っていたからだ、ともいう。谷本知事の出身地はどこだったろうか?
白山市では中世の武士団である宮保氏、倉光氏に関する館跡が出ているという。松任氏もそうだが、武士団の存在が地名となって脈々と息づいているのである。それが白山市・石川郡なのである。
百万石城下町の金沢市でも旧町名の復活がかまびすしい。しかし、厳然と存在していたはずの前田利家以前の歴史には冷たい気がする。重要な遺跡は数多いはずなのだが。
スピードがでる新幹線建設の進捗状態が気にかかる。歴史を無視したスピード違反が起こらなければいいのだが。相手は、名だたる手取川の急流が培ってきた風土、文化遺産なのだから。















