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FM-N1ヘッドライン

地方紙は陸の豪族か海の豪族か

 過日、地方紙のHK新聞のコラムに、「大阪城は誰が建てた。大工が建てた」という笑い話を引き合いにして論を展開していた。もちろん、建てたのは豊臣秀吉である。企図、構想、大規模工事を裏打ちする財政力が必要だから、技術者集団(工人)が建てたとされないのは当然のことである。

 そのHK新聞がきょう(6月10日)付の朝刊で、大きな紙面を割いて、野々市町の末松廃寺の調査報告書が刊行された、と記事を掲載していた。内容については、不正確というか、古代史についての勉強不足がありありと行間ににじみ出しており、読者に誤解を与えるのではないかと危惧を覚えた。

 実は、この記事は、HK新聞の対抗紙とされる地方紙のHC新聞がかなり以前に、特ダネとして掲載済みのものだった。レベルも圧倒的にHC新聞の方が高かった。後追い記事の割にはHK新聞の迫力のなさには少々がっかりした。

 両地方紙は、これまでも発掘モノ(考古学関係の記事)で、しのぎを削っているようである。最近でも、先月下旬にHK新聞が舳倉島の調査記事を書き続ければHC新聞は6月1日の紙面で、珠洲焼きを積んだ沈没船の調査を伝えるなど、角の突きあいが目立っている。

 こうした事情を背景にしているにも関わらず、末松廃寺の記事は歯切れが悪かった。

 HC新聞が既に、「道君建立の通説は覆った」としているのに対し、HK新聞では「道君建立の通説とは異なる見解」と一歩後退しているのである。FM-N1の取材を通して確認しているのは、「通説が覆った」のである。二説が並存しているのではなく、新事実として道君建立説が消えたのである。もちろん、「建てたのは大工説」をとるならば、道君が関与していたことは完全に否定できないであろう。

 もちろん、HK新聞がいうように「南加賀の豪族が建立か」というのも大工建立説である。当時の、古代の越国(現北陸)のうち加賀郡、江沼郡の豪族を協力させて、近畿の王権(天智朝)が扇状地開発のために、国家目的を遂行するための大事業として建立された、と調査報告書はいっているのである。

 昭和41、42年の文化庁による発掘調査の報告書がようやく刊行されたわけであるが、当時の新聞を保存していた末松町在住の方に見せてもらったことがある。当然、有力紙であったHK新聞である。これでもか、という具合に道君建立説が紙面に踊っていた。今回の報告書は、この記事から軌道修正をする良い機会であったと思われるが、機会を逸してしまったようだ。

 野々市町議会でも既に、粟貴章町長は「国家的大事業」と一般質問に対して答えている。

 南加賀の豪族建立説や道君説に立つとするなら、それは一豪族の氏寺としての性格しか持たず、国家的事業とは言いがたいのである。

 調査報告書がいうように、工人的観点からすると「南加賀の豪族(財部造=たからべの・みやつこ)」が主導したのだろうが、管理を任されたのは道君ではないだろうか。末松廃寺建立と相前後して、道君伊羅都売が天智天皇の後宮に入っているからである。道君の方が優位に立っていたと思われる。

 道君は河北潟を本貫地(本拠)とした豪族である。水運に長けた海の豪族といってもいい。財部造(能美氏)は小松の梯川流域から能美古墳群にかけての手取扇状地を開拓(末松よりも早い)した陸の豪族といってもいい。両豪族が中心になって天智朝の号令の下、末松廃寺を建立、屯倉としたのである。

 地方紙の両紙は、どちらが海の豪族でどちらが陸の豪族かは知らないが、手を組んで事に当たることは金輪際ないのであろう。

Permalink | 2009年6月10日 10:56 | 宮崎正倫

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