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FM-N1ヘッドライン

野々市じょんからまつりVS道君

 野々市じょんからまつりが8月1、2の両日、野々市小学校のグラウンド周辺を主会場に開かれる。FM-N1でも、1日(土)の午前11時から正午までと、午後2時から6時までの合わせて5時間のじょんからまつり特番「野々市5万人~今から夢が始まる」を放送する。

 今年のまつりは、野々市町が平成の大合併で、金沢市の無理強いともいえる合併話を拒否して「単独市制実現」を掲げてから、ようやく推計人口で5万人超えを目の当たりにした記念すべき祭りとなる。

 しかし、粟貴章町長をはじめ、町幹部の口を突いて出る言葉には浮いたところがない。市制実現のゴールを迎えたのではなく入り口に立ったもので、これからが正念場、といった雰囲気が漂っている。したがって、特番のタイトルも「今から夢が始まる」としたものである。

 そして、野々市町にとって、歴史上の大きな出来事があった。地元の熱意にもかかわらず、大きな謎に包まれてきた国指定史跡「末松廃寺」(同町末松)の文化財調査報告書が発掘調査から42年ぶりに、文化庁から出版されたのである。

 従来の古代・加賀の豪族道君による創建説が覆され、大和政権である天智王朝の強い意向の下で、当時の加賀郡、江沼郡内の豪族連合が関わったものであることが分かった。律令制度が整って名実共に日本が統一国家になる前夜の、地方におけるダイナミックな動きが歴史の上ではじめて実証されたといってよい。実質的に、7世紀の中ごろには統一国家としての姿を見せていたことになる。

 古代からの手取川扇状地の開発の歴史こそが野々市町の歴史であり、1350年間にわたる栄枯盛衰の物語が切れることなくつながったことになる。その要の歴史上の人物が、野々市じょんからまつりの主役となる富樫氏である。

 祭りそのものは、創作による地域の文化的遺産である「富樫物語」や「富樫略史音頭」に基づいているものだが、謳われている富樫氏の善政も歴史の上に位置づけられることになった。

 一方で、これまでの末松廃寺創建の豪族とみられていた道君の人物像に対する影が深くなったのかもしれない。道君自身は創建対して主導的な立場になかったことは間違いないが、開発地の大豪族として管理者の立場であったことに違いはない。

 天智天皇の後宮に娘の道君伊羅都売を送り込み、豪族連合の首座を得た理由は何であったのか? 末松廃寺の謎が一応解明された今となっては、よけいに際立つのである。

 もし、これが、野々市町が金沢市に吸収合併されていたらということだが、調査報告書「史跡 末松廃寺跡」はこれほど地元に歓迎されていただろうか、と背筋を寒いものが走る。なにしろ、石川県の歴史については、加賀百万石の以前については多くを語らない節がうかがえるからである。

 なにしろ、道君の本貫地は金沢市なのだから。といっても、同市の森本であり、金沢市に合併された地域である。もう一つ、末松廃寺を核とした扇状地開発の重要な地点は、稲を運び出したと思われる金石の港(宮腰の津、大野湊)であるのだが、やっぱりここも金沢市に合併された地域である。

Permalink | 2009年7月30日 16:21 | 宮崎正倫

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