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FM-N1ヘッドライン

品格の自覚と虚実の狭間

 大相撲の横綱・朝青龍が引退した。善くも悪しくもいろいろと話題を振りまいた横綱だった。支持するファンは相撲の強さと愛嬌さであり、不支持のほうは「国技」大相撲の横綱としての品格に疑問を抱いたのが大きな理由のようだった。

 私自身は大相撲のファンでもないから、どっちに転んでも気にしていないのだが、一連の騒動に関して勉強させられることも多かった。

 その一は、大相撲というのは国技なのか、ということである。記紀にも登場する古いスポーツなのだが、それが定義なのだろうか。朝青龍の例でもわかるようにモンゴル相撲というものもあり、世界中には似た競技があると聞く。日本人が慣れ親しんできた競技であるから国技と言われてきたのだろうか。今ひとつ、ピンとこない。

 確かに、戦後の昭和30年代、テレビの普及にあわせ、他のスポーツもあまり普及していなかった頃の熱狂振りは、幼少の体験として知っている。むしろ、この全盛時代を土台に、格式と日本独特の様式美を追及することで、権威が作り上げられてきたように思う。

 しかし、実態としては興行の一形態に過ぎないのではなかろうか。最近では、この興行としての側面だけに、つまりビジネス・モデルとしての集金システムだけに関心が高まり、国技の面目を堅持する不断の努力がなおざりにされてきたように感じられる。

 興行であれば、土俵上の勝ち負けだけ、豪快に暴れまくればファンが喜び、観客動員、収入があがるのであるから、世はこともなし、ということになる。

 この勝負事、ギャンブル性をスポーツ、国技に昇華させるために横綱が果たす役割があるのではないか。横綱土俵入りに代表される神事や日常生活における節制、社会に対する行動、発言が真っ当なものであることが大切なのである。

 それこそが横綱としての品格であり、角界を代表する責任なのではないだろうか。昨今、理事会や横綱審議会が表に出る機会が多いが、角界を代表するのは理事長ではなく、横綱でなければならないのだろう。

 敢えて言えば、理事会は興行としての運営が主であり、やはりファンに対しては横綱が代表でなければならないのだ。理事会は、外国人横綱に対して、品格とは興行を支えるための仕掛けであることを、分かりやすく教えるべきだったのではないか。

 興行収入を上げるためにスター横綱を作り上げることは基本なのである。が、このシステムを維持するためにも横綱に因果を含める努力を怠り、自覚を持たせることができなかった、というのが顛末だったような気がする。

 建前と本音と言われるが、建前は「虚」であり、本音が「実」であると思われがちで、「実」の方が徳性が高いという単純な見方が建前をないがしろにしてきたのではないだろうか。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があり、「矜持」という言葉もある。

 建前を自覚することが組織を維持、存続させる力であるとも言える。

 これを品格とするならば、わがコミュニティ放送局に引き当てればどうなのか。

 放送エリアが狭いゆえに経営基盤は弱いのが通念となっている。地域活性化、地域貢献の建前とは二律背反の関係にある。しかし、建前に対する自覚を失っては放送事業の継続も意味がなくなる。頭が痛くなる話だが、いい勉強をさせてもらったようだ。

Permalink | 2010年2月 8日 11:15 | 宮崎正倫