気候と議論は繰り返す
今はやりの言葉「気候温暖化」に対して、アメリカで疑問の声が高まってきた、という。
なんでも、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告書に記載されている事項に科学的根拠がない、ということらしい。レポートをまとめた科学者も、この点について認めている、という。
以前から、レポートに指摘されているような気温の上昇は起きていない、との指摘もあり、科学者の間でも意見が分かれていた。
日本でも、消費者に対する企業イメージ・アップなどを意識して、環境対策が必要以上に喧伝され、テレビの画面では北極や南極の氷が解けて崩れる映像が繰り返し放映されてきた。
その裏では、氷がこれまでより厚くなっている地点があることは余り語られてこなかった。南極観測船の「しらせ」が厚くなった氷に阻まれて、立ち往生したというニュースも、関心が高まらなかった。
これは、北極海や南極海に流れ込む海流の変化によるものである、との観測結果も報告されている、という。
現在の気候変動の大きな要素は、産業革命以来の社会発展による二酸化炭素の量が増加したことにあるのではなく、砂漠化の拡大による乾燥化が原因とする向きもあるようだ。
そういえば、ここ数年、国史跡「末松廃寺跡」(野々市町末松)について俄か歴史学者となって、歴史の一端をかじっていたが、約2万年前の旧石器時代は氷河期であり、現在より、海水面が100メートル近く低く、大陸と日本列島は陸続きであった。マンモスなどの巨大獣を追って人間が渡り、定住化してきた。
その後、縄文時代には縄文海進という時期があり、現在の海面より3~5メートル高かった。何も、二酸化炭素が増えた訳ではないのだろうが、海面は上昇していたのである。次の弥生時代には再び、寒冷化してきている。
とすれば、二酸化炭素の排出量の増加とは別の理由で、地球の気候は変動を繰り返しているのではないか、という疑問が、温暖化の論に対して首をもたげてくるのである。
もう一度、政治的思惑や経済的思惑を離れた冷静な議論が行われることを期待したくなってくる。
もしかしたら、低燃費車の性急な開発も必要ではなかったのだろうか。とすれば、トヨタの問題も起きなかったのではないか、と思いたくもなる。(私はずっと日産車)。
そうなると、様々な分野で展開されているエコ・ポイントはどうなるのだろうか? これこそ要らざる心配かも。















