サラリーマン人生を全うするとは?
先ごろ、前に勤めていた会社の同期だったKさんが亡くなった、と知った。60歳であった。
私の方は13年前に転職し、FM-N1でお世話になっている訳で、3月末には定年となり、嘱託という身分で仕事を続けさせてもらっている。誠にありがたいことであるが、昔の付き合いのあった友だちからも、もうすぐ定年になります、という知らせが多くなってきた。
少し感慨に浸っていると、横を通りかかった後輩のUさんが「60歳ですか。サラリーマン人生を全うしたのですね」と、呟いていく。
しかし、人間にとって「人生」とは別の所に「サラリーマン人生」というものが存在するのだろうか。何気なく使ってきた言葉であるが、定年という一つの節目を超えた身になると、それは長い人生の中の一部でしかない、という思いに捉われてしまう。サラリーマンが終わったところで、自分の一生が終わってしまうわけではないのである。
これからも、家族との、友人たちとの人生が待っているのである。決して、人生を全うしたとも言えず、むしろ人生の途上であったと言うべきなのだろう。まして、ここ数年のKさんは病を得て、サラリーマン人生そのものにも全力を尽くせない状態であった、と風の便りに聞いていた。
私の方も病持ちであるが、なんとか仕事を続けている。これまでの人生で身に付いた知識や経験を必要としてくれる人たちがいる限り、お役に立っていきたい、と思っている。が、老妻ともども、先を数える年齢になってきたわけで、少しは仕事以外の時間を持ちたい、とささやかな望みを膨らませている。
生まれながらにベビー・ブームと言われ、団塊世代、全共闘世代、ニューファミリー、企業戦士などと、時代ごとに様々な称号を賜り、挙句の果てには大量退職の弊害を云々されているのである。
確かに、私自身は殆ど休日があってないような暮らしを続けてきた。今でも、勝手に週6勤の生活、と決めている。休み方を知らないと言えばそれまでだが、趣味の世界や新しい事どもにも手を染めている。
サラリーマン人生を完全に卒業したわけではないが、確かに、それぞれに見合った別の人生が待っているのである。わがままをいえば、手加減した仕事と、病気を抱えていたとしても、もう少しだけ元気で、人生を全うする道を歩みたい、と願っている。
Kさんのご冥福を祈るばかりである。















