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    <title>えふえむ・エヌ・ワン</title>
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    <title>別れと出会いは着物で</title>
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    <published>2010-03-08T09:26:42Z</published>
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        <![CDATA[<p>　月曜日の9時はFM-N1の生放送開始時間。8時30分から始まっていた我社の朝礼も終盤の頃に、作務衣姿の男性と大正ロマンの和装の女性が来局されました。</p><p>　「永瀬嘉子の今日も元気で！」の9時からの番組ゲストさんです。能美市寺井町の「トントンハウス」というパン屋さんのご夫妻。パン屋さんと和装の取り合わせがユニークだったので、出演前だというのに、厚かましくリサーチ開始。</p><p>　何と初出演のご主人は金沢工大の建築科の平成５年の卒業生でありました。この放送局の出来る２年半前だったので、「学生のときに、開局してたら、絶対やってましたよ！放送が大好きで某局で７ケ月間他大学の人と番組してたんです。昨日パソコンで工大生の番組聴いてたんですが１年生が随分しっかりした番組やってたんで驚きました。でも今の学生は恵まれてていいなあ・・」と懐かしそうに話すご主人。</p><p>　脱サラしてパン作りへの４年間の修行時代。楽な道のりではなかっただろうに、とても器の大きな明るい奥様の後押しで、卵も牛乳も入れない美味しいパンを作り出した素的なお二人との出会いがあった月曜日の朝でした。</p><p>　３５分間の生出演を終え、再会を約束して送り出した直後、又もや和服の女性が入局。</p><p>　南加賀を元気にしたい！と、山代温泉でカクテルバーを経営する夫婦が４年前から番組制作している「ﾌｨﾙ･ｲﾝ・ﾚﾃﾞｨｵ･ﾌﾛﾑ･ｶｶﾞ」の２０２回目の収録に来局したお二人は一寸緊張気味。店舗移設の為、今回の収録が最後と言う事で、大好きな着物姿で最終回を収録したいと言う気持ちが伝わって来ました。</p><p>　ご主人が立ち上げた番組に途中から参加した奥さんの理解と協力があってこそ、２０２回と言う回数を重ねることが出来たのです。自分の店のPRは殆どせず、加賀市をはじめ、小松市、山代温泉などの観光名所や人物、店舗の紹介を中心に、登山をしながらや、船や飛行場での取材、水しぶきを浴びながらの川くだり等、体当たりの取材には頭が下がりました。</p><p>　こんなに番組作りに一生懸命な東さんの夢は&ldquo;加賀にコミュニティラジオ局を作る事&rdquo;だった。本業の為、ひとときラジオから離れられますが私達は充電期間としてお待ちします。　見送った後に手渡された封書。そこには感謝とN1を評価してくださる文章がびっしり書かれてありました。夜の仕事との両立でさぞかし大変だったでしょう。感謝で一杯なのはN1スタッフ全員の気持ちです。長い間本当に有難うございました。</p><p>　皆さん、月曜日１３時からの東さんご夫妻の番組は、後３回放送されます。どうぞお聴き頂きたく思います。尚１８時３０分から再放送もしております。</p>]]>
        
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    <title>気候と議論は繰り返す</title>
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    <published>2010-03-04T01:21:50Z</published>
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    <summary>　今はやりの言葉「気候温暖化」に対して、アメリカで疑問の声が高まってきた、という。　なんでも、国連の「気候変動に関する政府間パネル（ＩＰＣC）」の報告書に記載されている事項に科学的根拠がない、というこ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今はやりの言葉「気候温暖化」に対して、アメリカで疑問の声が高まってきた、という。</p><p>　なんでも、国連の「気候変動に関する政府間パネル（ＩＰＣC）」の報告書に記載されている事項に科学的根拠がない、ということらしい。レポートをまとめた科学者も、この点について認めている、という。</p><p>　以前から、レポートに指摘されているような気温の上昇は起きていない、との指摘もあり、科学者の間でも意見が分かれていた。</p><p>　日本でも、消費者に対する企業イメージ・アップなどを意識して、環境対策が必要以上に喧伝され、テレビの画面では北極や南極の氷が解けて崩れる映像が繰り返し放映されてきた。</p><p>　その裏では、氷がこれまでより厚くなっている地点があることは余り語られてこなかった。南極観測船の「しらせ」が厚くなった氷に阻まれて、立ち往生したというニュースも、関心が高まらなかった。</p><p>　これは、北極海や南極海に流れ込む海流の変化によるものである、との観測結果も報告されている、という。</p><p>　現在の気候変動の大きな要素は、産業革命以来の社会発展による二酸化炭素の量が増加したことにあるのではなく、砂漠化の拡大による乾燥化が原因とする向きもあるようだ。</p><p>　そういえば、ここ数年、国史跡「末松廃寺跡」（野々市町末松）について俄か歴史学者となって、歴史の一端をかじっていたが、約２万年前の旧石器時代は氷河期であり、現在より、海水面が１００メートル近く低く、大陸と日本列島は陸続きであった。マンモスなどの巨大獣を追って人間が渡り、定住化してきた。</p><p>　その後、縄文時代には縄文海進という時期があり、現在の海面より３～５メートル高かった。何も、二酸化炭素が増えた訳ではないのだろうが、海面は上昇していたのである。次の弥生時代には再び、寒冷化してきている。</p><p>　とすれば、二酸化炭素の排出量の増加とは別の理由で、地球の気候は変動を繰り返しているのではないか、という疑問が、温暖化の論に対して首をもたげてくるのである。</p><p>　もう一度、政治的思惑や経済的思惑を離れた冷静な議論が行われることを期待したくなってくる。</p><p>　もしかしたら、低燃費車の性急な開発も必要ではなかったのだろうか。とすれば、トヨタの問題も起きなかったのではないか、と思いたくもなる。（私はずっと日産車）。</p><p>　そうなると、様々な分野で展開されているエコ・ポイントはどうなるのだろうか？　これこそ要らざる心配かも。</p>]]>
        
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    <title>「野」の「市」は石川の原型</title>
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    <published>2010-03-02T03:16:39Z</published>
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        <![CDATA[<p>　ＦＭ－Ｎ１でもツイッターなるものが始まった。緩いコミュニケーションが支持を得ているのだという。政治家にも愛好家が多いと聞く。原口総務相が、チリ大地震の津波情報を自分のツイッターでつぶやいていた、というニュースも入ってきた。</p><p>　政治家がメディアに頼らず、自らの信条信念を発信できるシステムを手に入れたことは、これまであった相互の緊張関係を変質させてしまうのかもしれない。技術革命が社会システムの変容を促しているようである。</p><p>　あらためて、メディアの存在理由も問われることになりそうである。もちろん、メディアの機能を果たしているＦＭ－Ｎ１のようなコミュニティ放送局にも言及されることで、ＩＴの技術革新に対して、傍観していては生き残りさえも脅かされる事態であろう。</p><p>　そのＦＭ－Ｎ１ツイッターで、ケイスケ君がつぶやいていた。野々市町の２月１日の推定人口が５万８７５人となり、先月より５４人が増えている、というのである。単独市制実現を目指す同町にとっては、今年１０月の国勢調査を前に、要件となる「人口５万人」に少しでも上積みしておきたいところだろう。</p><p>　一方で、市制実現に備えて、新市名の検討が始まっている。先日の検討委員会では、歴史を重視する考え方から「野々市市」が有力案となっている。１３００年代から、文献にその名が見えるという。来月４月に、町民アンケートを実施して、町民の意見も反映して粟町長に答申する運びらしい。</p><p>　文献とは白山比咩神社の水引神人に関係する文書で、「野市（ののいち）」とあり、１３５４年のことという。</p><p>　もちろん、町の歴史は文献資料よりもっと古く、考古資料によれば、白鳳寺院としての末松廃寺（同町末松）があり、天智朝による手取扇状地の開発が行われたことが分かっている。</p><p>　縄文時代の御経塚遺跡はともかく、古代から中世にかけて連綿と続けられた扇状地開発によって加賀国の生産力が向上したことは間違いないだろう。生産の中心が野々市町にあり、生産力の向上が人口を集中させる結果となった。野の生産物を商う市が立ち、交通網も野々市を目指したのではなかろうか。交通の要衝となっていったのだろう。</p><p>　ただ単に、地の利がよいから交通の要衝になったのではなく、富の蓄積が背景となっていた。全ての道は野々市に通ずるのである。そう思えば、現在の石川県の社会的システムの原型が野々市町にあったとも言える。</p><p>　新市名の決定をめぐり、故郷の歴史を再認識することは貴重な体験である。少し前に、金沢市が野々市町を吸収合併するための激しい動きがあったが、金沢成立以前に、貴重な歴史、文化が厳然として存在し、古代の統一国家としての日本が成立する過程で果たした故郷の役割が、野々市町に止まらず、広範な地域で繰り広げられた事実が埋もれなかったのは、誇りとすべきことだろう。</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>品格の自覚と虚実の狭間</title>
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    <published>2010-02-08T02:15:04Z</published>
    <updated>2010-02-08T03:20:19Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　大相撲の横綱・朝青龍が引退した。善くも悪しくもいろいろと話題を振りまいた横綱だった。支持するファンは相撲の強さと愛嬌さであり、不支持のほうは「国技」大相撲の横綱としての品格に疑問を抱いたのが大きな理由のようだった。</p><p>　私自身は大相撲のファンでもないから、どっちに転んでも気にしていないのだが、一連の騒動に関して勉強させられることも多かった。</p><p>　その一は、大相撲というのは国技なのか、ということである。記紀にも登場する古いスポーツなのだが、それが定義なのだろうか。朝青龍の例でもわかるようにモンゴル相撲というものもあり、世界中には似た競技があると聞く。日本人が慣れ親しんできた競技であるから国技と言われてきたのだろうか。今ひとつ、ピンとこない。</p><p>　確かに、戦後の昭和３０年代、テレビの普及にあわせ、他のスポーツもあまり普及していなかった頃の熱狂振りは、幼少の体験として知っている。むしろ、この全盛時代を土台に、格式と日本独特の様式美を追及することで、権威が作り上げられてきたように思う。</p><p>　しかし、実態としては興行の一形態に過ぎないのではなかろうか。最近では、この興行としての側面だけに、つまりビジネス・モデルとしての集金システムだけに関心が高まり、国技の面目を堅持する不断の努力がなおざりにされてきたように感じられる。</p><p>　興行であれば、土俵上の勝ち負けだけ、豪快に暴れまくればファンが喜び、観客動員、収入があがるのであるから、世はこともなし、ということになる。</p><p>　この勝負事、ギャンブル性をスポーツ、国技に昇華させるために横綱が果たす役割があるのではないか。横綱土俵入りに代表される神事や日常生活における節制、社会に対する行動、発言が真っ当なものであることが大切なのである。</p><p>　それこそが横綱としての品格であり、角界を代表する責任なのではないだろうか。昨今、理事会や横綱審議会が表に出る機会が多いが、角界を代表するのは理事長ではなく、横綱でなければならないのだろう。</p><p>　敢えて言えば、理事会は興行としての運営が主であり、やはりファンに対しては横綱が代表でなければならないのだ。理事会は、外国人横綱に対して、品格とは興行を支えるための仕掛けであることを、分かりやすく教えるべきだったのではないか。</p><p>　興行収入を上げるためにスター横綱を作り上げることは基本なのである。が、このシステムを維持するためにも横綱に因果を含める努力を怠り、自覚を持たせることができなかった、というのが顛末だったような気がする。</p><p>　建前と本音と言われるが、建前は「虚」であり、本音が「実」であると思われがちで、「実」の方が徳性が高いという単純な見方が建前をないがしろにしてきたのではないだろうか。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があり、「矜持」という言葉もある。</p><p>　建前を自覚することが組織を維持、存続させる力であるとも言える。</p><p>　これを品格とするならば、わがコミュニティ放送局に引き当てればどうなのか。</p><p>　放送エリアが狭いゆえに経営基盤は弱いのが通念となっている。地域活性化、地域貢献の建前とは二律背反の関係にある。しかし、建前に対する自覚を失っては放送事業の継続も意味がなくなる。頭が痛くなる話だが、いい勉強をさせてもらったようだ。</p>]]>
        
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    <title>「なごり雪」が解けた</title>
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    <published>2010-02-05T07:02:21Z</published>
    <updated>2010-02-05T07:46:21Z</updated>

    <summary>　節分・立春の寒波もようやく峠を超えたようだ。暖冬の言葉に裏切られたように感じるのはひとえに歳のせいと言い聞かせている。しかし、南極の方では、南極観測船の「白瀬」が例年の２倍以上の厚さの氷に阻まれて難...</summary>
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        <![CDATA[<p>　節分・立春の寒波もようやく峠を超えたようだ。暖冬の言葉に裏切られたように感じるのはひとえに歳のせいと言い聞かせている。しかし、南極の方では、南極観測船の「白瀬」が例年の２倍以上の厚さの氷に阻まれて難渋していた、とも聞く。二酸化炭素による地球温暖化の掛け声が、いかがわしいのではないかと思わせる。</p><p>　太平洋岸に低気圧が接近して、関東地方にも積雪が観測されている。かなり以前、１～２センチの積雪でも大慌てになる人々を眺めて「たったこれしきの雪で&hellip;」と嘲笑う論調もあったように覚えているが、その土地々々にはそれぞれの風土、生活習慣があることを忘れた暴論であった。</p><p>　私なんぞは北海道の寒さに耐えられないし、南方の暑さにも根をあげてしまう。コミュニティ放送に携わっていればいるだけ、地域の特徴の大切さが身に染みてくる。</p><p>　東京の雪といえば、思い出される曲がフォークの「なごり雪」であろう。</p><p>　「東京で見る雪はこれが最後ね」という歌詞から、３月の情景を歌ったもので、学生生活を卒業し、別れ別れになる男女の切なさを歌っている。その心情が団塊の世代にうけたのか名曲といわれるまでになっている。</p><p>　「去年よりきれいになった君」と別れていくのだが、単に故郷へ帰るから仕方がない、という風に聴こえてきて、はっきりとした理由が分からないために、名曲と言うぬは物足りなさを感じていた。</p><p>　はっきりとさせない方がイメージを膨らませやすく、作詞のテクニックと言ってしまえばそれまでの話なのだ。</p><p>　しかし、「なごり雪」のアンサー・ソングを見つけたのである。南佳孝の「昼下がりのテーブル」という曲である。</p><p>　昼下がりの自室で、男性が思い出に耽る、という設定である。</p><p>　「時代は変わるもの」「一人だけを愛し続ける難しさを知った」「きれいになっていく君を見てきた」「何も変わっていない気もする」</p><p>　学生生活の４年間は短いようで、若者にとっては成長するに十分な長さがある。</p><p>　去年より容姿はきれいになったが、心の中は変わっていない、と冷静に見つめている。そして、自分は変わってしまっており、大人になろうとしている事を知っている。</p><p>　「なごり雪」では、この二人はどうした人生を送っていくのか、と疑問に思っていたものだが、「昼下がりのテーブル」を聴いて、後悔が後に残らなかったようで、長年の疑問が解けて、ほっとした。レコードのA面、B面にしたい組み合わせである。</p><p>　この曲は、１月３１日の番組「高橋リバーサイド・ステーション」で放送された。駅のホームは人生がすれ違う場所で、行き交う人たちの人生はなかなか交わらない、をテーマにしていた。</p><p>　流れた曲は「ホームにて」（中島みゆき）、「ああ上野駅」（井沢八郎）、「修学旅行」（舟木一夫）、それに「なごり雪」（イルカ）、「昼下がりのテーブル」（南佳孝）の５曲。担当はスタッフのＫさんだった。</p>]]>
        
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    <title>ＡもＣもいらない、Ｂ級が好きなんだ</title>
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    <published>2010-02-02T06:58:08Z</published>
    <updated>2010-02-02T07:45:07Z</updated>

    <summary>　最近、歳とともに、食に対する執着が薄くなってきた。１０年来のダイエットが祟って、胃が小さくなり、食は細るばかりだった。そのせいか、体調を崩してしまった。今では、薬を飲んで腹が膨れるありさまである。晩...</summary>
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        <![CDATA[<p>　最近、歳とともに、食に対する執着が薄くなってきた。１０年来のダイエットが祟って、胃が小さくなり、食は細るばかりだった。そのせいか、体調を崩してしまった。今では、薬を飲んで腹が膨れるありさまである。晩酌で流し込もうとしても、入っていかない状態となった。</p><p>　これでは、ならず。昨年後半からは食欲増進の努力を始めた。一念発起と言えば大げさだが、晩酌の酒のランクを上げ、旨い日本酒で流し込もう、という魂胆だったが、見事に成功したようだ。</p><p>　それまでも、グルメとは縁遠い生活で、Ａ級の料理は口に合わず、Ｂ級が相場だった。が、体調を崩していたころは、Ｃ級というのか、栄養分の少ない食事になっていた。再び、Ｂ級に復活して喜んでいた。</p><p>　ところがである、年長スタッフのＴ君がボソリとつぶやいた言葉に引っかかってしまった。</p><p>　「それはＢ級で、Ａ級とは思えない」</p><p>　もちろん、Ｔ君のことだから、料理の話ではない。彼のＣ級好みは知っている。Ｔ君といえば、音楽の話である。</p><p>　実は、今日（２日）の番組「回って歌って８０年」の事だった。あなたの失くしたレコードを見つけよう、という趣旨で放送している。</p><p>　本当に、今では聴かれなくなったレコードを見つけ出してくれ、喜んだことも何度となくあった。</p><p>　今回は九重祐三子＆ダニー飯田とパラダイスキングの曲「ハートでキッス」だった。</p><p>　歌いだしの九重祐三子の声がプリプリに張っていて、久しぶりに聴いた一曲だった。歌が好きになったのは、パラダイスキングの影響も大きかったと思っている。</p><p>　早速、Ｔ君の下に駆けつけ、「良かった。久しぶりに聴いた」と伝えたところ、返事が「それはＢ級ですよ。いつ放送しようかと、棚の隅に置いていました」と返事が返ってきたのです。</p><p>　「君はいつからＡ級が好きになったんだ？　Ｃ級専門だったのではないのか。そう言えば、その後、スマップのライオン・ハートを流していたな。ＦＭ－Ｎ１ではＢ級が主流なんだぞ。Ａ級はいつでも聴けるが、Ｂ級は機会が少ないんだ」と文句を言いたかったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。これでまた、腹が膨れてしまうかもしれない。</p><p>　言葉を飲み込んだのには下心があるかである。なにしろ選曲するのはＴ君なのだから。機嫌を損ねてはいけないからである。</p><p>　部屋に戻って見ていると、Ｔ君はＣＤ棚の隅の方に歩いていった。よしよし、これでまたＢ級が採用されそうだ。次は、何を見つけてくれるやら&hellip;</p>]]>
        
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    <title>１ヵ月も経たずに、浅川マキ</title>
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    <published>2010-01-20T00:35:27Z</published>
    <updated>2010-01-22T08:37:39Z</updated>

    <summary>　あれから、まだ１ヵ月も経っていない。まさかと耳を疑いたくなる事だった。世の中「一寸先は闇」ということは承知のうえなのだが、これまでの人生の中で何度、後悔させられたことだろう。　あれから、というのは昨...</summary>
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        <![CDATA[<p>　あれから、まだ１ヵ月も経っていない。まさかと耳を疑いたくなる事だった。世の中「一寸先は闇」ということは承知のうえなのだが、これまでの人生の中で何度、後悔させられたことだろう。</p><p>　あれから、というのは昨年１２月２７日のＦＭ－Ｎ１開局１４周年特番の放送日からであり、耳を疑いたくなった事とは、先日１７日に急逝した浅川マキさんの事である。</p><p>　１４周年特番は、当初の企画として、地元出身の歌手である浅川マキさんを取り上げる案が有力だった。地域のメディアとして、それなりの評価をするという意味からも、準備に入っていた。そう思い立たせた理由の一つは、浅川さんとも音楽で結びついていたギタリスト飛田一男さん（元めんたんぴん、ロック・イベント夕焼け祭主宰）の一昨年の死去だった。</p><p>　飛田さんの特集を組みながら、浅川さんの特集をしようとの思いが強くなっていたからである。</p><p>　それなのに、なぜ企画を変更したのか？　生来の浮気症と言えばよいのか、信念がなく目の前の出来事に振り回されるのか、優柔不断そのものだった。</p><p>　一つは、エレキ・ギターを考案したレスポール氏の訃報であり、もう一つは音楽プロデューサーの加藤和彦さんの急逝であった。両者とも、日本の音楽界に与えた影響が大きく、日頃、ラジオ放送における音楽の役割を痛感していたからである。</p><p>　急遽、企画を変更し、レスポール氏のために「エレキにしびれて！　もっとしびれて」を、加藤和彦さんのために「あの素晴らしい歌をもう一度」の１４周年特番を制作したのである。</p><p>　今、浅川マキの「かもめ」と、ちあきなおみがカバーした「かもめ」を聴き直したところである。それぞれの味わいがあるのだが、ついつい、ちあきなおみが菊池章子をカバーした「星のながれに」も聴いてしまった。</p><p>　人生は陽の当たる場所だけではない。運命とでも言うのか、陽の射さない場所で生きる人たちもいる。と言っても、陽の当たる場所の人たちだけが立派なのではない。そこには別の悩みもあるからである。ともに人生に悩み、悲嘆にくれながら生きていることも多々あるのである。</p><p>　陽の射さない場所の住人たちを歌うことで、より人間のありようを訴えているような気がして、ついつい引きずり込まれてしまうのである。</p><p>　ＦＭ－Ｎ１の「音楽の心得」で一番に挙げているのが指揮者の宇宿允人さんの言葉である。「真の音楽とは人生の悲しみを謳ったものだ。だからこそ、人の苦しみ悲しみを癒すことができる。何より偉大な芸術作品とは人間である」。</p><p>　この言葉をかみしめた後、浅川マキとちあきなおみの「朝陽楼」を聴き比べてみよう。</p>]]>
        
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    <title>正座して歌った琵琶湖周航の歌</title>
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    <published>2010-01-11T04:06:57Z</published>
    <updated>2010-01-11T05:06:32Z</updated>

    <summary>　１１日正午からの番組「桜の小径でララバイ」の１曲目に、加藤登紀子の「琵琶湖周航の歌」が流れた。近畿地区をテーマにして選曲したもので、滋賀県の歌として取り上げられたものだ。　作られたのが大正６年であり...</summary>
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        <![CDATA[<p>　１１日正午からの番組「桜の小径でララバイ」の１曲目に、加藤登紀子の「琵琶湖周航の歌」が流れた。近畿地区をテーマにして選曲したもので、滋賀県の歌として取り上げられたものだ。</p><p>　作られたのが大正６年であり、作詞、作曲した京大生（漕艇部）の秘話を紹介しながら番組は進行していた。</p><p>　好きな曲であるが、椅子の上で背筋を伸ばし、威儀を正して聴き入った。加藤登紀子のレコードがヒットしたのは昭和４６年のことだそうだが、この歌を知り、初めて歌ったのは３年ほど遡る昭和４３年のことである。もちろん、カラオケではなくアカペラであり、正座して歌ったのである。</p><p>　もぐりのような学生生活を送ったこともあり、大学の話はしたくないのであるが、卒業（実質的には追い出された）したのは金沢大学である。部活のコンパの席で、先輩から教えられたのが「琵琶湖周航の歌」であり、正座をさせられたのである。</p><p>　その理由は、金沢大学の前身である第四高等学校にある。昭和１６年４月６日、合宿練習をしていた同校漕艇班の８人が、京大生３人とともに、琵琶湖の今津を出た後に突風を受け、１１人全員が死亡したのである。</p><p>　四高の応援歌に「南下軍」があるが、四高と三高の対抗戦に際しての応援歌であり、高校生時代からよく知っていた。学都とも言われた金沢の地域文化でもあるのだろうか。三高（京大）との浅からぬ因縁を感じてしまう。</p><p>　漕艇班の遭難の後、「四高漕艇班遭難追悼歌」が作られたそうだが残念ながら、この曲は知らない。</p><p>　いつしか、「琵琶湖周航の歌」に置き換わり、正座とともに先輩から後輩へと伝わっていたものである。つまり、京大生の歌ではなく、先輩たちの青春の追悼歌であり、思い入れの深い１曲となったのである。</p><p>　それが、加藤登紀子の歌が大ヒットして以来、四高の色は薄れ、全国区となったのである。加藤登紀子を恨むのではないが、少し残念な気持ちもする。歌は時代とともに変わっていくもの、を実感させられたものだった。</p><p>　そういえば、遭難の１年後、湖岸には１千本のソメイヨシノが植えられ、「四高桜」と呼ばれていたが、現在は１７本が残るだけという。歴史は消えていくのが運命なのかもしれない。無常である。</p>]]>
        
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    <title>ささやかなスリー・酒・サミッツ</title>
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    <published>2010-01-06T06:53:54Z</published>
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    <summary>　今年の年末年始は、社会人３７年目にして初めて長期休暇をとった。これまでは、家に居たのは最高でも３日間だけという暮らしだった。仕事人間という程の仕事はしてこなかったのだが、いつの間にか当たり前になって...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今年の年末年始は、社会人３７年目にして初めて長期休暇をとった。これまでは、家に居たのは最高でも３日間だけという暮らしだった。仕事人間という程の仕事はしてこなかったのだが、いつの間にか当たり前になっていた。</p><p>　ということで、自宅のラジオで、スタッフの仕事振りをじっくりと拝聴することができた。</p><p>　すると、耳に飛び込んできたのは嬉しいニュースだった。生活いち番シャトル便のパーソナリティである田中康典さんが南極大陸の最高峰であるヴィンソンマシフの登頂に成功したのである。</p><p>　これで田中さんは世界七大陸のすべての最高峰に登頂したことになり、セブン・サミッターという称号を手にしたのである。国内では２０人目らしいのだが、サラリーマン生活と両立させたところが価値がある、と思っていた。思わず万歳を繰り返した。</p><p>　そして、当方は、長い休暇を当て込んで準備していた、ささやかな挑戦に取り掛かることにした。セブン・サミッターとは比較にならないが、北陸３県の最高峰と思われる日本酒を呑むことである。</p><p>　これも余り経験したことはないのだが、陽の高いうちから儀式をスタートさせた。正月の１日午後３時から、石川県のとって置きである「鶴の里」の杯を上げた。世界大会のワインの部で優勝しただけのことはあり、いつ呑んでもフルーティーな味わいがあり、これが本当に、米を原料にした日本酒なのかと思わせる。</p><p>　いったん休憩した後、夜の部に入って、いよいよ性根を据えて味わっていった。福井県の「黒龍」、富山県の「満寿泉」ときて、仕上げは石川県の「菊姫のにごり酒」に決めていた。</p><p>　なんという幸福感だろう。北陸生まれの人間だけにあたわった贅沢なのかもしれない。</p><p>　単に、正月の飲みすぎ歌いすぎで、黄金の喉を錆付かせてしまったスタッフのＮ君とは大違いの、正統派の正月の過ごし方である。が、身から出た錆を反省する態度にはまだ、先の望みがあるとも言える。クリスマスの夜に、カラオケで聴かせてもらった黄金の喉が復活するよう祈っている。</p><p>　と、自慢らしく言ってはみたものの当方は、身から出た錆ならぬ、身からはみ出た脂肪を何とかしなくては&hellip;</p><p>　</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>立子を間違え、あいさつ句を習う</title>
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    <published>2009-12-18T07:25:28Z</published>
    <updated>2009-12-18T08:26:57Z</updated>

    <summary>　年の瀬が迫ってきた。この頃になると高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」を思い出す。虚子が身近に感じられるようになったのは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでからである。しかし、この句だけは以前から...</summary>
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        <![CDATA[<p>　年の瀬が迫ってきた。この頃になると高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」を思い出す。虚子が身近に感じられるようになったのは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでからである。しかし、この句だけは以前から、来し方行く末を考える年末になると浮かんでくるのであった。</p><p>　それくらいの知識だったが、虚子の曾孫である星野高士さんを迎えて「星野高士の俳句サロン」の番組が始まったのは１０年ほど前のことである。日本語の美しさ、短詩形の様式美など教えられることが多々ありました。しかし残念ながら、１２月いっぱいで放送を終了することとなりました。</p><p>　１２月２６日午前９時からの放送が最終回（再放送は同２８日午後１時半～）となります。</p><p>　番組開始にあたって、地元の俳句の先生の所へあいさつに行き、赤っ恥をかいたことがありました。虚子の娘さんで高士さんの祖母に当たる星野立子（ほしの・たつこ）という有名な俳人がいますが、緊張してしまい、この人を「りつこ」と言ってしまったのです。もちろん、先生に叱責されました。</p><p>　この程度の知識しかないものがこの先、番組を制作していけるものなのか不安に襲われました。今となっては懐かしい思い出（他人には伏せていたが）である。</p><p>　立子の読み方だけでなく、番組を通して「あいさつ句」というのも習いました。吟行の時など、訪れた場所を読み込むことで、句作にとっては大事なことだ、というのです。</p><p>　番組の中では、地元の俳句愛好家の方から投句を募って、高士さんの添削を受けるのであるが、最後の回となる１２月分には、これが最後となると知った金沢市のＮさんから、締め切り後に滑り込みで投句がありました。その中の一句が</p><p>　「年果つる俳句サロンも果てにけり」</p><p>　でした。リスナーの心情を表したあいさつ句であり、番組終了のことも忘れて、しばし感心させられました。</p><p>　もう一句。野々市町のＴさんの</p><p>　「年の暮思はぬ別れある事も」</p><p>　について、高士さんは「また会うこともありそう」と、惜別の評をしていました。</p><p>　不安を抱えた番組の開始でしたが、リスナーの熱心な投句に支えられて１０年が経ちました。番組は年の瀬で終わり、正月へと続くことは出来ませんでしたが、そこには何か目に見えぬ「貫く棒の如きもの」があると感じ入っております。</p><p>　ひと足早いのですが、お世話になった皆様に心から感謝申し上げます。　</p>]]>
        
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    <title>雪の降る町を</title>
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    <published>2009-12-17T05:34:59Z</published>
    <updated>2009-12-17T06:30:41Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　今朝（１７日）、初雪を見ました。もちろん、石川県内では数日前に初雪が観測されたのは知っています。私が見たのは、ＦＭ－Ｎ１のサイマル放送で見ることができるライブ・カメラ（金沢工業大学ライブラリーセンター屋上に設置）の映像です。</p><p>　午前６時を過ぎたころ、まだ陽の上がらないうちのモノクロ映像が突然、色つきの画面に変わるのです。映し出された家々や学生の寮、アパートの屋根が白く光っているのです。日本海の方からは雪を運んでくる雲が次から次へと押し寄せてきます。</p><p>　春４月にカメラを設置して以来、楽しみにしていた光景でした。一緒にアップされている輪島・千枚田の映像も、積雪に縁取りされた光景は一幅の絵画を見ているようでした。</p><p>　ライブ・カメラの狙いの一つが雲の動きでした。夏雲より、冬季に日本海を渡ってくる筋雲が絶品ではないかと思っていたからです。まずは狙い通りといったところです。</p><p>　そしてもう一つは、冬の雷です。夏の雷は画面が一瞬、真っ白になるだけなのですが、雪雷は雲に映し出されて幻想的な光景が見られるのではないかと期待しているのです。遠雷であればなおさらでしょう。</p><p>　太平洋側の人たちには意外かもしれませんが、冬の北陸では雷が付き物なのです。小さいころは、この雷が大の苦手で、夜中などに鳴り出すと、布団の中で小さく丸まって、怖い思いをしていたものですが、今では雷をまっているとは&hellip;。成長したのか鈍感になったのか分かりません。</p><p>　雪と言って思い出すのが、末松廃寺跡で見つかった和同開珎の銀銭のことです。雪解け水が土中から銀銭を洗い出したのです。この発見がきっかけとなって同廃寺の調査が進展して、１１月にはシンポジウムも開催されました。後輩のＵさんは、特番づくりやサイマル放送の画像制作に心を亡くすような思いで忙しく立ち働いていました。夏場から、県内の関係地を巡って撮影を行ったのですから、気合も入っていたのでしょう。</p><p>　末松廃寺が、白鳳時代に中央集権国家、律令国家を目指す手取扇状地の開発を牽引する象徴的なモニュメントでした。ここでは詳しく紹介できませんが、日本の古代史を切り拓き、画期的なページを新たに書き加えたことは間違いありません。</p><p>　これも、北陸の地や人々をを育んできた雪の賜りものと言っていいでしょう。雪の降る町こそ私たちの故郷なのです。</p><p>　こんな感傷に浸るときは「雪の降る町」の歌を聴きたくなるのです。子どものころ、下駄履きで、雪の降り積もる町の通りを歩いた記憶。自分の下駄の音しか聞こえなかった。上を見上げれば、電柱に取り付けられた電灯の灯りの中を雪が舞っていました。この曲は自分の中の名曲になっています。</p><p>　もう４、５年前になるでしょうか、第１スタジオで放送されていた番組「ストア・オールディーズ」の中で、高英男の歌う「雪の降る町を」が流れていました。レコードの宿命ともいえるシャカシャカというスクラッチ音が、本当に雪の降っている音に聴こえたのでした。思わず廊下に飛び出すと、そこにはやはり、金沢の雪の中で育ったＵさんも飛び出してきていました。</p><p>　末松廃寺の特番が制作できた力もきっと、「雪の降る町を」の賜りものだったのでしょう。</p>]]>
        
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    <title>う～ん！おもしろい！！　ロイさんの特番予告</title>
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    <published>2009-12-16T03:58:51Z</published>
    <updated>2009-12-17T03:32:46Z</updated>

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        <category term="梅岡和也" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　忙しい、という字は「心を亡くす」と書くので、意識的に使わないようにしてきました。が、今年の１１月以降は、心を亡くすどころか、心も身も、オツムもクタクタでした（日ごろは仕事をしていないからだ、と皮肉る輩も）。ここ数日、やっと、落ち着いて仲間の作った年末年始の特番を試聴する余裕が出てきました。</p><p>　その中で、「う～む、これはスゴイ」と感激した番組を記します。ロイ・キヨタさんの「アメリカ音楽の源流　カントリーを訪ねて」、放送日は１２月２８日月曜日朝９時～１０時です。この１時間番組を聴いて「カントリー」という音楽がいっぺんで理解できました。詳しく書くと、皆さんの番組を聴く楽しみを削ぐので書きません。一言だけ言うと、「アメリカという人種のルツボ国家を理解するにはカントリー音楽が欠かせない」ということ。アメリカ本土に足を運んだことはない私ですが、番組と音楽を通してアメリカの本質を理解できた気がします。</p><p>　それにしても、ロイ・キヨタ恐るべし！　「ロイさん。オールディーズ専門だと思っていたけど、カントリーも詳しかったの？」。番組を試聴してすぐに電話しました（ロイさんはふだん、金沢工大ＰＭＣポピュラー・ミュージック・コレクションにいることが多いのです）。「うん、ちょっとはね。カントリーは昔から好きだよ。梅さんに言ってなかったっけ？」。</p><p>　さすが英語を母語とし、アメリカ国内はもちろん、世界を股にかけた元商社マン。少年時代に日本に帰化したロイさんが、多くの日本人が失った謙虚さを身につけていたことを忘れていまいた。、「ちょっとだけ知っている」というのが、「知悉している」の謙遜語だったのですから。</p><p>　２８日（月）朝の本放送のほか、年が明けて１月２日（土）午後２時からも再放送します。２回とも聴いても良いでしょう。選曲が素晴らしいので。こんな絶賛をきょうの朝礼でしていたら、「ボクのも聴いてくださいよ。絶対に面白いから」と谷川くん。「えっ？　まだ出来ていなんじゃないの？」「失礼な！　梅岡さんが忙しそうにしてるから、渡していないだけですよ」。</p><p>　ＦＭ－Ｎ１の年末年始特番はもちろんのこと、１２月２７日の開局記念特番をお聴き逃しなく。そうそう、１２月３１日朝９時～の「いまよみがえる末松廃寺」もいいですよ。すでに１２日にも放送しましたが、内容を再編集したものです。サイマル放送での写真もパソコンでご覧ください。制作（サイマル・ラジオ用の写真撮影も）したのは、不肖、梅岡です。忙しかった主な原因がこの番組でした。でも、心を亡くさずに、得たものが大きかったこの２カ月でした。忘年会ではウマイ酒が飲めそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>ぼくの大好きなクラリネット</title>
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    <published>2009-12-02T06:39:28Z</published>
    <updated>2009-12-02T07:16:43Z</updated>

    <summary>　♪ぼくの大好きなクラリネット－の歌詞で始まるのはフランスの曲で「クラリネットをこわしちゃった」である。中学３年の時、初めてクラリネットを手にした。音楽室にあったのだが、その柔らかい音色に魅了されてし...</summary>
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        <![CDATA[<p>　♪ぼくの大好きなクラリネット－の歌詞で始まるのはフランスの曲で「クラリネットをこわしちゃった」である。中学３年の時、初めてクラリネットを手にした。音楽室にあったのだが、その柔らかい音色に魅了されてしまったが、しばらくの間に卒業となり、それきりとなってしまった。</p><p>　なぜ、クラリネットを手にしたかと言えば、当時のテレビ番組で、クラリネット奏者の北村英治さんがよく演奏していたのを見たからである。</p><p>　多分、５０代以上の人であればジャズには関心がなくとも、北村さんの演奏を覚えていられる方も大勢いるのではないかと推察している。今から４５年ほど前のことである。</p><p>　ところが、その北村さんが元気に、野々市町のステージで演奏してくれたのである。ビッグ・アップル・イン・野々市のイベントに、特別ゲストとして。感激ものであった。</p><p>　その北村さんがＦＭ－Ｎ１のインタビューに応えてくれた。</p><p>　誤解を恐れずに言えば、との注釈つきであったが「テレビのくだらない番組を見る時間があったら音楽を聴いてほしい」と話されていた。</p><p>　昔は、そのテレビでしか北村さんを知ることができず、クラリネットの演奏に引き付けられたのだが、なんとも寂しい気持ちにもさせられた。しかし、確かにその通りだとも思う。</p><p>　インタビューの中ではまた「音楽を好きになって、愛してもらいたい。音楽を文化としてとらえてほしい。ビッグ・アップルのクリニックで、中学生が急に来るという出会いもありました。文化国家としてのあるべき姿が野々市町にはある」と断言されていました。</p><p>　ＦＭ－Ｎ１では、１２月２７日に開局１４周年を迎えますがこの間、ポピュラー・ミュージックは消耗品ではなく、貴重な文化財である、との思いで放送を続けてきただけに、我が意を得たり、であった。</p><p>　この思いは、金沢工大のポピュラー・ミュージック・コレクションに所蔵されている２０万枚を超えるレコードにも託されており、丁寧にレコード音楽を中心とした番組編成を続けている理由でもあります。</p><p>　きょう１２月３日は、野々市町では「ノー・テレビ、ノー・ゲーム・デー」ですが親子で、家族団らんで音楽を楽しむのも一つの過ごし方でしょう。ラジオから流れる心温まるメロディーに耳を傾けてみてはどうでしょうか。</p><p>　かつてテレビは新しい文化の取り入れ口でしたが、今ではその力も失われてしまいました。しかし、ぼくの大好きなクラリネットは何時までも壊れることなく、楽しい旋律を奏でてほしいと願っています。そして、北村英治さんも何時までもお元気でいてください。</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>本当に６０メートルだったのか！　それでも...</title>
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    <published>2009-11-18T07:10:06Z</published>
    <updated>2009-11-18T08:12:41Z</updated>

    <summary>　待ちに待った野々市町のふるさと歴史シンポジウム「いまよみがえる末松廃寺」が１１月１５日に開かれた。　基調講演「古代石川平野（手取川扇状地）の開発と末松廃寺」を行った金田章裕さんをはじめ村上訒一さんの...</summary>
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        <![CDATA[<p>　待ちに待った野々市町のふるさと歴史シンポジウム「いまよみがえる末松廃寺」が１１月１５日に開かれた。</p><p>　基調講演「古代石川平野（手取川扇状地）の開発と末松廃寺」を行った金田章裕さんをはじめ村上訒一さんの「末松廃寺と飛鳥・白鳳の寺院」、木立雅朗さんの「瓦が語る古代の文明開化」、望月精司さんの「手取扇状地における飛鳥時代の移民集落」、服藤早苗さんの「古代の家族と女性・児童」など興味深い報告が続いた。</p><p>　末松廃寺といえば和同開珎の銀銭と言われるほどだが、発見者で末松廃寺の守り神と言われた高村誠孝の子息の宏さんによる「父の思い出」も、廃寺の保存にかけた地元の熱意が伝わる話だった。吉岡康暢さんがパネルディスカッションのコーディネータを務めただけだったのが、少し物足りなかった。</p><p>　同廃寺は法起寺式をとり、西に金堂、東に塔を持つ。昭和４１、４２年に文化庁による調査が実施され、４０年後にようやく報告書が刊行された。が、謎の一つが塔の高さだった。</p><p>　これまでは、塔心礎の柱穴の直径から約２４メートルとする説もあったが、実際は約６０メートルの高さを誇る塔であることが明らかにされた。日本最古の木造建築とされるあの法隆寺の五重塔が３１．５メートルだから、その巨大さには驚かされるばかりである。これならば、七重塔であった可能性が出てきた。</p><p>　従前の説は柱穴の直径の４０倍＝塔の高さという公式があったためである。しかし、末松廃寺の場合は柱間が大きく、１０メートルを超えてしまう。アンバランスが謎を深めていたのである。</p><p>　それでは何故、６０メートルになったかといえば、塔の底辺の６倍程度が塔の高さと一致する、という調査研究の結果が出たからである。柱穴は柱の直径そのものではなく、柱を支えるために細工された柱のホゾの太さであるという。礎石の上面が平らに加工されているのが傍証になるのだそうだ。</p><p>　手取扇状地の開発にかけた古代人の決意が伝わってくる。</p><p>　ここで、ある問題に気がついた。６０メートルの高さの塔になると、葺いた瓦の重みで塔自身を押さえつけないと倒れてしまう、ということである。</p><p>　金堂の基壇の周囲からは瓦が多量に出土しているが、塔の基壇の周囲には瓦がなかったことである。塔の基壇までは施工したが塔本体までは造営できなかったということだろうか。とすれば、未完の寺ということになってしまう。</p><p>　それでは未完となった理由が何であるか、である。</p><p>　末松廃寺は６６０年から６７０年の間に、天智天皇の意思で、中央集権化を強化するために着工されたとされる。そうだとすると、６７２年の壬申の乱で、天智方が天武天皇方に破れて造営工事が中断された可能性が高くなる。</p><p>　未完の寺という残念な結果が出るとしても、新たな古代史のロマンが古里の石川平野に広がってくるようで、これもまた大興奮ものである。</p>]]>
        
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    <title>人の振り見て、知らぬふり...</title>
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    <published>2009-11-09T07:54:29Z</published>
    <updated>2009-11-11T08:26:19Z</updated>

    <summary>　先週の木曜日、仕事の帰りになじみの居酒屋で遅い食事をしていた折のことです。「これ、なんじゃあ、だらしない。阿部、ガムぐらい口から出せよなあ」。カウンターの椅子に座っていた３０代の客がテレビに向かって...</summary>
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        <![CDATA[<p>　先週の木曜日、仕事の帰りになじみの居酒屋で遅い食事をしていた折のことです。「これ、なんじゃあ、だらしない。阿部、ガムぐらい口から出せよなあ」。カウンターの椅子に座っていた３０代の客がテレビに向かって文句を言っています。私の席はそのテレビのちょうど真下、カウンターの端っこにあり、画面を見れません。何事かと思って、わざわざカウンターに乗り出してテレビを見やると、そこには、日本シリーズの第５戦がちょうど終わり、殊勲者インタビューを受けている巨人・阿部捕手が映っていました。ガムを噛みながら受け答えをしているその姿にカウンターの客が怒り、同席していた数人の客も「そうだ、そうだ。行儀が悪い」と同調していたのです。</p><p>　「行儀が悪いということを、周りにいる分別のある大人が教えなきゃいかんなあ」。店の主人に感想を言う私。もっとも、巨人ファンのマスターには右の耳から左の耳に素通りしたようでしたが。それより、ガッカリしたのは、私が知る限り、翌日のテレビや新聞に一言もこのことについて触れられていなかったことです。前日、サッカーの試合で２位になったチームの態度が悪いと、協会トップらから批判され、チーム責任者や選手が謝ったという記事の見出しを目にしていました。だから、てっきり話題になると思っていたのでした。そんなこんなを会社で話していると、「その話いただき！」と、Ｎくんが食いついてきました。</p><p>　「俺もスポーツ・ニュースでその場面を見ました。態度がなっておらんなあ、と感じましたが、確かに、テレビや新聞で報じていません。このことに余計に違和感があります。何かウラでもあるんですかねえ」。「ウラもオモテもない。ダメなことはダメと叱る大人がいなくなったか、記者諸君は行儀が悪いとは思っていないんだろうよ」。てな具合にマナーやエチケット、作法の話からイッチョ前の教育論もどきになった次第です。</p><p>　「Ｙさんにこの話を持ちかけて番組のネタにします」とＮくん。何でも、あす１１月１０日火曜正午～の「二人で独りごと」で扱うそうです。「ワールド・シリーズを制したヤンキースの公式インタビューで、オーナーや監督がサングラス姿でした。日本ではサングラスをはずさないとブーイングですよね」とＹくん。私、比較文化論みたいな、そんな大それた話をしたつもりはないのですが。まっ、どんなふうに料理するのか、番組を楽しみにしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p>]]>
        
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