考古学の破壊力、世界遺産を吹き飛ばす?
俄か考古学者と化した後輩のU君につられて更に、その周辺をかじっているだけで、確かにU君が魅了されていくのも、うなづけるようになってきた。
何の変哲もないような土塊の中から、土器のかけらや柱の跡などが見つかるだけで、これまでの定説や、常識が根底から覆されてしまう。そして全国初の発見となることもある。その事実の前には、威儀を正さなくてはならない。謙虚になれるか、あがくかで品性や品格まで問われてしまうから、怖い。
北陸中日新聞が先日、1面のスクープ記事として、白山市の東大寺領横江荘遺跡近くの大型回廊型遺構が古代の「石川郡庁」跡との見方が確定的になった、と報じた。郡庁跡が見つかったのは北陸4県でも初であり、荘園と一体になった遺構としては全国初の確認、という。
もともと同発掘は、北陸中日新聞と対抗関係にある北國新聞が「回廊型遺構は郡庁跡か?」と先行報道していたものだが、後追い記事では「寺院跡の可能性もあり、確定できない」と後退してしまった。評論家的に、対抗紙の報道を否定したい素振りである。
遺構のある白山市は、本気度は分からないものの霊峰白山に関して世界遺産の運動に乗り出している。金沢市の「城下町」に煽られてのようだが、世界遺産を目指す両運動とも、魅力づくりという名の観光開発であるとすれば、完全に吹き飛んでしまうほどの発掘内容である。選挙の時だけ、お題目のように歴史・文化を唱えているのかどうか、識見が問われるところであろう。
この大型回廊型遺構の内部で見つかった柱列跡は、素人目には寺院跡とは思えない。54メートル四方のほぼ正方形の形からいっても郡庁の正殿であろう。発掘を続ければ、東側と西側に、脇殿跡があるはずである。
郡庁は、8世紀初頭には全国で550ヵ所があったとされている。白山市の場合は9世紀前半と時代が新しいが、加賀立国に伴う石川郡の設置が弘仁14(823)年であるから符合する。もし寺院跡であるとすれば、野々市町の朱仏寺(末松廃寺)や金沢市の広坂廃寺(21世紀美術館)の関係が問われなければならない。ただし、郡庁と寺院が一体となった場合が多い、とも聞く。周辺の倉庫群とも考え合わせると、郡庁なのであろう。
学習院大准教授の鐘江宏之さんは著書「律令国家と万葉びと」の中で、郡庁は立地は水運と陸上交通と密接な関係にあるという。
重要なのは、この点ではないだろうか。石川郡庁跡は、日本海へつながる安原川と、古代・北陸(ほくろく)道が交差する地点に近いのである。その野々市町二日市では、北陸道に面した地点で、大型建物の遺構が発掘中である。
また、東大寺領横江荘は、桓武天皇の皇妃が818年に寄進したものである。桓武天皇といえば、天智天皇に嫁いだ道君の伊羅都売の曾孫に当たる。道君は、古代・加賀郡の豪族であるから、この地域の特殊性を抜きにしては語れないだろう。
先の野々市町6月定例議会で、粟貴章町長は、朱仏寺と道君、手取扇状地の開発について触れ、「最新の考古学的知見によれば、国家的規模の開発と思われる」と答弁した。
国家と言うより天皇家(天智天皇)と地方豪族との一種の共同開発であるとすれば、古代の地方開発、経営に関して画期的解明になるだろう。
もはや、一郡庁跡が見つかっただけでは収まらないのである。
世界遺産運動が吹き飛んでしまう理由がここにはあるのである。
