末松廃寺の塔は三重塔
これまで、2月26日に開催された野々市町民大学校の講義「末松廃寺の謎を追う」で挙げられた9つの謎について、素人の推理を繰り返してきたが、残る2つの謎についても考えてみたい。
「明確に塔に伴う瓦は確認されていない」点である。この謎は、講堂跡が見つからないこととセットになって、末松の大寺が完成したのか、それとも未完成の大寺であったのかが、関心の的となっていた。
この謎の出発点は、昭和41、42年の文化庁の調査で、塔基壇のスケールの大きさから推定し、七重塔と信じられていたからである。古里自慢としては、大きいほうが勢いがあってよい。
もし七重塔だとしたら構造上、瓦の重さで建物を押さえないと倒壊してしまう。金堂の周囲からは大量の瓦が出土しているのに、塔の周囲にはない。塔は完成しなかった。つまり、大寺も未完である、というのである。
しかし、大寺は手取扇状地の開墾のため、人心掌握のシンボルとして計画されたものであり、開墾が成功しているのであるから、大寺も完成していたとみる方が妥当であろう。
文化庁の調査後、考古学の研究が積み重ねられ、塔の高さは、塔心礎に穿たれた柱穴の直径の約40倍であることが分かってきた。計算すると、末松の塔は高さ約22~23メートルとなって三重塔であることが判明した。
これであれば、瓦が屋根に乗らなくても倒れることは免れる可能性がある。屋根は桧皮葺(ひわだぶき)で十分であれば、瓦は出土しなくとも当然であろう。
ちなみに、末松廃寺は東に塔、西に金堂がある法起寺式の伽藍配置であるが偶然にも、法起寺の塔は柱間の広さなどは同規模で、やはり三重塔(国宝)である。ただし、瓦葺ではある。
最後の謎は「寺の名称は朱仏寺?」というものである。
これは、町民大学校の講義でも説明があった通り、大寺の通称であろう。正式な名称は今後、どこかで文字資料が発見されない限り、判明しないだろう。最大の謎として残される可能性が高いと言える。
