鏡と瓦に共通する「六」のデザイン
先日、能美教育委員会の秋常山・西山古墳群の現地説明会に出かけた。一つは、野々市町の末松廃寺創建に関わったとされる財部造(たからべのみやつこ)の正体に一歩でも近づきたい、という思いと、もう一つは「六鈴鏡」とは何か、を知りたかったからである。
「六鈴鏡」とは、秋常山と同様に能美古墳群のひとつである和田山1号墳から出土した鏡である。鏡の周囲に6個の鈴がついている独特の形をしたものである。
現地での説明では、鈴製品は関東地方に出土例が多いらしく、石川県内では和田山1号墳の1面しか出土例がない珍しいものである。
何故、六鈴鏡に興味が湧いたのか、というと、財部造以外にも末松廃寺との関連性があるような気がしたからである。
単弁六葉蓮華紋軒丸瓦
末松廃寺の金堂跡の周囲から出土した軒丸瓦は「単弁六葉蓮華紋」という独特のデザインをしている。飛鳥寺を初め大和の古寺などから出土している軒丸瓦の文様は「八葉」「十二葉」とあるが、「六葉」は一枚もないのである。
数年前、末松廃寺の謎を探る番組「末松の大寺に飛鳥の風吹く」のため、考古学会の大御所で、飛鳥寺の発掘に携わった坪井清足さんにインタビューする機会に恵まれた。
坪井さんは、全国ひろしといえども六葉が「末松」でしか出土していない謎について語ってくれた。
八葉や十二葉は「都ぶり」といってもよく、対して六葉は「田舎風」(決して悪い言い方ではない)というべきだろう。
つまり、660年ごろに作られた六葉の軒丸瓦は、どこかの古寺の模倣ではなく、末松廃寺の建立に際して、手取扇状地の工人たちの手で新たに考案されたデザイン、というのが「田舎風」の意味であり、重要な手掛かりになるのではないでしょうか。
そして重要な事実は、単弁六葉軒丸瓦が旧辰口町(現能美市)の湯屋古窯で作られていた、ということです。湯屋古窯は、能美古墳群を造営した豪族と思われる財部氏の勢力圏なのです。
六鈴鏡は6世紀前葉のものとみられ、単弁六葉蓮華紋瓦は660年。およそ100年の開きがありますが、同じ豪族の勢力圏で、他に類型を見ない遺物が存在することは、デザイン様式が、同族の中で残されていた、と強く想像させるものです。
財部氏は、秋常山古墳の造営に当たり、古墳の葺き石を、約5キロ離れた手取川から数多く運びました。また、末松廃寺の建設に際し、湯屋古窯から手取川を越えて、多くの瓦を運んだのでした。
