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西本百合子

アーー看板が・・・

野々市市高橋町にある金沢工大旧28号館の取り壊しが進んでいます。

新社屋に居を移したラジオ局FM-N1の看板が79日ついに外されました。

4階建て社屋の東・北の壁面に張り付けられていた大きな看板を巨大なクレーンで外す様子を眺める事30分。

高い足場から作業をされる姿に感心しきりの私の横で『アーー看板が・・ついになくなるだ・・』と悲しげな声をあげるのは工大の女子学生。WAVEプロジェクトで番組を作ってきた彼女には旧局舎への想い入れは強いという。

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20年暮らしてきた私にはかび臭くて不便な建物だったが・・。

高校生達は新しい局舎やスタジオにキャーキャーと声を高めて歓喜の様子をあらわすのに、工大生はどんなに新局舎を喜ぶのかと思っていたが、3月の卒業生を始め結構多勢の在学生達が旧局舎が取り壊されて無くなる事をとても寂しがっていた。

普段、クールで無感情にも感ずることのある今時の若者達の別の一面を垣間見て、そんな純粋な気持ちをすっかり忘れている乾いた自分が少し恥ずかしくも思えたものです。

平成7年の秋空に張り付けられてから約20年間。

ドリバーのロゴの入った大きな看板2枚、塗装も薄くなり、表面には細かいヒビも入ってる。20年近く、雨や風雪、直射日光を受け続けながら高い所で見守ってくれて有難う。

長い間のお役目ご苦労様でした。

そして無事に、短時間で壁面から外された作業員の皆様、本当にご苦労様でした。

20周年の年明けです。

 1月5日 9時 今年の生放送開始は元気印の「永瀬喜子の今日も元気で」の番組からスタート。

今年も素敵な和服でスタートを飾って下さった、永瀬喜子さんとFM-N1の中村チーフの張りのあるタイトルコールに誘われるように、曇り空が青空も見える空模様に変わっていきました。
 
FM-N1にとって2015年は特別な年になるはずです。
局舎北側に建設中の工大28号館から静寂な正月気分を弾き飛ばすような大音量での工事の様子が伝わってきます。
放送的には騒音なのですが、正月早々新局舎建設に働いて下さる工事関係者に感謝するとともに、とても元気と力をもらえる力強い工事の音として迫ってきます。
スタジオの中からも、外からも元気をもらえる2015年のスタートです。
 
1995年12月27日に開局したFM-N1は新局舎で20周年を迎える・・
とても重要な転機に身震いすら覚えます。
成人となる歳を重ねた放送局が地域に果たす役割を新局舎から分かりやすく発信していく為にも高校・高専生・工大生や地域の皆さんを始め、従来にも増した多くの皆さんが集う場所。
FM-N1に集まろう!を、合言葉にして貰えるよう鋭意頑張りたいと思わずには居られません。
 
今朝から、野々市市の特産物であるキウイの入った大福や健康食品ヤーコン入り煎餅(2品とも新商品)更には、東京の菓子展で金賞受賞の山中のお菓子など勢いのある品を次々と頂きました。なんとも20周年のスタートに皆様の声援を頂いている嬉しさと責任を感じます。
リスナーの皆さんに野々市発信の声を、音楽を届けます。
2015年 FM-N1 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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至福の一杯頂戴します。

 只今FM-N1の第1スタジオでは、金沢市畝田西のコーヒ専門店「アリーカフェ」店主 有延宏之さんと宇野慶子さんの「生活いち番シャトル便」のコーヒー談義が繰り広げられています。

毎月第3水曜日にご出演頂くようになってもう2年です。

深い話を窓越しに、アリーカフェさんの自家焙煎コーヒーを飲みながら聴いている・・・

更には、コーヒーを沸かす水はスタッフが自ら鳥越の山中から運んでもらった天然水なのです。。

これだけでも贅沢の極みと思います。有難いです。

今日はそこに更なる感動を貰いました。

金沢工大生を受け入れてるアパートの大家さんの収録日でした。

放送は毎週月曜日8時から8時30分(再放送18時から18時30分)

13名の大家さんが学生を見守る目線・交流を語ってくれていますが、

大家さんのお1人が「ドリバーを作ったのでどうぞ」と何個ものフェルトで

作ったFM-N1キャラクターの可愛い人形をくださったのです。

驚きと感激・感謝で顔がぐちゃぐちゃになりました。

先日バレンタインデーの日にはサポーターさんから、包装紙にドリバーをプリント

するというサプライズがあり、驚きと感謝があったばかりでした。余りに勿体なくて

食べられずにいたものです。お忙しい方が時間をさいてくださったその思いが伝わ

ります。放送の電波に繋がる人の輪とあたたかい気持ちに感謝する日々です。

今日の感謝を一緒にして写真をとりました。ご高覧くださいませ。

自分一人で舞いあがっているようで恐縮ですが、何か言葉と記録に残さずにいられ

なくてこのようなブログになりました。

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熱意と愛情を痛感 これぞ仕事のしかた

 金沢工大の教職員・学生が出演する弊社番組「キャンパス・アメニティ」の今日11時からの放送は、ロボティクス学科の佐藤隆一教授の出演でした。

 3.11から気づかされた自分がなすべき仕事の話題から学生達が製作したシーラカンスまで、とても聴きやすい口調で先生の思いが伝わる放送でした。

 金沢工大には素敵な先生が沢山いて有難いと思いました。と同時に、ある職員の存在に注目したのです。

3週間ほど前に企業の方へあてたメールが私に届きました。KITの大学院を優秀な成績で卒業し、一流企業に就職。そして今春地元に戻り、母校である金沢工大産学連携室にこの春入社した松井君からでした。

 在学中から、彼は目を輝かせ日本の未来や仕事への意欲を語り、数回「キャンパス・アメニティ」の番組出演をしてくれました。その度に雄弁さ頭の回転の良さに感心していましたが、なにより年若い彼の他人に対する謙虚な姿勢と感謝の言葉の多さに親以上も年の離れた私などたじろぐ程でした。

 松井君はFM-N1のとても良き理解者でした。その彼が就職と同時に挨拶に来てくれた時は、工大の力となってくれることに万歳と言ってしまったほどでした。

 その彼が番組出演者として佐藤教授を紹介し、さらに共同研究企業に番組を聴いてくださいと、PRもしてくれていたことを番組担当者から聞いたとき、この年若い彼に仕事のしかた、熱意と母校への愛情を感じずにいられず、熱に浮かされたようにこのような文章を書いております。

 仕事とは何でしょうか。作業はこなせば出来ます。人に、これがあの人のしてくれた仕事なんだと気づきを与え、感動・感謝に繋がったら最高の仕事をしたことになるでしょう。 私個人が、今日の放送からその裏側を知り、感動と感謝をもらったわけですが、こんな素晴らしい『放送』という媒体から、もっともっと多くの感動が生まれる仕事を期待してやみません。

 今日もう一つの感動は、WAVEプロジェクトの番組制作に携わる学生達が自分たちのブースを大掃除していた事です。せっかくの土曜休日ですが、みんな晴れやかな顔で半日かかっての徹底的な掃除には感心しました。この精神から毎週20本もの番組制作に繋がる意欲と誠意を見たようで本当に嬉しい。

 FM-N1には宝物が沢山あると実感しました。今日の空のように心晴れやかです。

追伸:今日の「キャンパス・アメニティ」の放送は11月4日月曜日13時30分より再放送。また、FM-N1ホームページ「キャンパス・アメニティ」からオン・デマンドでお聴きいただけます(楽曲は割愛)。

林郷八幡神社御鎮座壱千年祭にようこそ

  2013年10月14日 15時30分、野々市市上林の林郷八幡神社の神職拝殿から打たれる太鼓の音は、拝殿に集う人々を始め境内の巨木や近隣に1千年の時の流れを告げました。

   例年、秋祭りとしてこの日に参拝してきましたが、今年は特別な祭礼として、神主4名、楽隊12名、巫女舞2名に来賓16名を迎え厳かに挙行されました。この瞬間に遭遇できる幸運を思い身の引き締まる日となりました。林郷八幡神社は1013年4月拝師郷神社として、往事の郷司としてこの地を統治していた林氏一族が建立した神社であり、1千年祭として執り行われたものです。

   来賓中央席に本日の主賓としてこの祭礼にのぞんでおられるのは、林氏一族の子孫である林光繁十勝毎日新聞社会長と令夫人、ご子息の林浩史社長であり、お三方の表情からも並々ならぬ思い入れの深さを測り取る事ができました。この日の為に3日の日を使い1千年祭参拝のみならず、自分達のルーツをより知りたいと白山市知気寺の館跡を始め、石川県の各所をまわられておられました。
 祭事の後、懇親の場で頂戴した名刺には10行の会社名がありました。広大な北海道十勝地方にて新聞・ケーブルTV・ラジオ・印刷・ホテル・農園など、名刺にずらりと掲載された業界を担われておられる林さんはやはり、只者ではない技量を思い知らされました。この方々の何代何十代前のご先祖である林氏の一族により、手取川扇状地とはいえ、暴れ川の手取川から農業用水を取り込み、鉄を作り農具を開発し豊かなコメ作りの出来る墾田という大きな功績をされた事も知りました。
 
 野々市の南方に林地区、舘畑、蔵山、中奥、我々が暮らす富奥や郷地区の名称由来も林一族の繁栄を表したものではないのかと思えるのです。林氏の名からは上林・中林・下林の町名や林、小林の名字が今日に引き継がれ、白山市や口能登にも一族の豪氏の名が(横江・宮永・安田・松任・倉光など多数)地名とし数多く残っている事、神社・寺院も多数有り信仰心の篤さを感じ、その寺院名が富光寺、知気寺、安養寺、蓮花寺など地名として現在に続いているのではないでしょうか。
 
 さらに、林郷八幡神社創設のころの林氏館跡(粟田6丁目現在の青木薬局駐車場付近)や製鉄作りしていた(新庄2丁目ゴルフ場付近)とされる所には我が家の土地がある事や、神社の前に有る母親の生家の名字宮川も八幡神社の前に流れる川を挟んだ苗字として付けたものだと思うとき、今回の祭礼から1000年前を知る機会として、この地に暮らす我々がもっと学ぶ必要性を感じずにはいられません。
 
 石川平野の今日の豊かさの基礎を築かれた林一族の功績に感謝し、後世に伝える責務を痛感した林郷八幡神社壱千年祭でした。
 
台風24号と26号の間の最高の天候は、この日を先祖の皆さんも祝ってくれているようで、ライトアップされた神社を、何度も何度も振り返り満面の笑みで帰られた林さんの姿が今も目に焼き付いています。本当に来てくださって有難うございました。感謝の念で一杯です。
 
また、息子さんの林浩史さんの10行にも及ぶ名刺の肩書でFM帯広(FM-JAGA)取締役と書かれて有ったことが、より親近感を覚えました。コミュニテイFM局として、弊社より、丁度1年前の12月と、同じ年末に開局している先輩局であり、とても地域密着で積極的な展開をされている放送局です。狭い野々市と異なり、壮大な十勝平野でのラジオに対する関心度の高さは比較対象にはならないかもしれませんが、必要とされているラジオ局から学ぶ事は多々あると思います。
 
また会長さんが20年前に造られた「十勝千年の森」をHPでみました。人は100年後の未来にたくし、森は1000年の単位で時間が流れるという視点から物事をとらえ向き合う・・・との文字に目が点になりました。
 
林郷八幡神社境内の大椎の木は1千年の時を経過し、老木としか言えないのです。環境的には北海道と違って自然環境とは程遠い中での千年が、枯れ木に近い状態にしてしまったのかもしれません。神社には相当な修繕を繰り返して、保存がされていますが、それを見守ってきた椎の木は、其のさまを横目に見ながらこの長きを生き抜いてくれました。この先、枯れにストップをかけられるのでしょうか?
 
 人の単位では到底計り知れない物語を背負い、老木となっている1000年は優に超えている大事な市の指定天然記念物 ご神木の大椎の木にも、有難うございます。これからも見守り続けて下さいと手を合わさなければ・・・。
 

「地域の教育力KITの大家さん」は終わりません

 

季節の代わる9月、この業界に入って17回、秋の改編時期を過ごしてきました。
兼業農家の嫁としては超多忙な月として、出来れば避けて通りたい月でもありました。
 でも、今年は生涯忘れられない9月になるように思います。
 今朝も8時からの「KIT大家さんのラジオ日記」を聴きながらの通勤でした。
 前身の【おばちゃん日記】がスタートしたのが平成16年6月でしたから足かけ10年に及んでの、KIT指定学生寮の大家さん達が工大生を受け入れ、無事学業を終え社会に巣立つまでの4年から6年の期間を励まし・見守る日々の様子を日記として綴って頂き、FM-N1のラジオから伝えてきたのでした。
 スタートの5人の大家さんの日記はコーナーとして放送し、翌年には15人の参加を頂き15分番組の枠を貰い、やがて30名、45名と日記を書いて下さる大家さんは増えて行きました。朝・夕のラジオでのゴールデンタイムに「地域の教育力おばちゃん日記」は30分の帯番組として放送させていただきました。諸事情が加わり、番組名を現在のように変更して2年。今月を持って「KIT大家さんのラジオ日記」は10年の節目で、番組を終了する事といたしました。ご聴取頂きましたリスナーの皆様には厚くお礼申し上げます。そして10年間に日記出稿頂きました総勢65名の大家さんには心より感謝申し上げます。
 さて、今朝の野々市市上空は雨雲に覆われ暗い朝でした。稲刈りの残っている倒伏した田圃を横目にみながらの出勤でした。カーラジオの、ドリバーと中村君の“肥える”話を聴いて、いつもながらの落ちにプッと笑わされます。私には一服の清涼剤となっています。
 「どんな大家さんかな?楽っのしみー!」と、紹介される今日の大家さんは興村加津子さん。御年80歳ながら、学生達を見守る情熱には定評があります。1年生の帰省を見送りながら、同じ部屋から20年前卒業していった広島の先輩が、会社の20年勤続で1週間の休みを貰い、家族4人で東北旅行するにあたって、どうしてもおばちゃんの顔が見たい!会ってお礼が言いたい!と、この夏立ち寄ってくれた事を書いた日記でした。
 その先輩は社会に出た当初、仕事がきついので辞めようと悩んで、アパートのおばちゃんに相談したら「そんな時は悩まず身体を休めなさい。寝ると良いよ」と助言されたから今の自分がある。嬉しかった・・と、家族の前で、両手で興村さんの手を握って離さなかったそうです。力強い大きな手から80歳の興村さんに「感謝の気持ち・ぬくもり」が伝わる。卒業生から大きな勲章を貰っても謙虚な興村さんがとても可愛いのです。
日記を通してリスナーの皆さんに大家さんの無償の愛情を届けたいと思って来ました。10年の間には何回も大家さんの日記から泣かされてきたのですが、最終月という事を抜きにしても、またもや興村さんに泣かされている涙腺のゆるい私でした。
 
この放送を聴いてコミュニティ放送が何を伝えていけば良いのか、番組作りに暗中模索しているスタッフの一助となればと思って、今朝の朝礼で話題にしたかったのですが・・またもや涙腺が邪魔をしてしまい・・単なるおばさんの感激話しに終わってしまったようです。情けない限りです。
 
さて、10月からは、KIT指定学生寮の大家さんが、自らマイクの前で金沢工大生とのふれあいを語ってくれる「KIT大家さんは見守り隊」が3年目を迎え、メンバーも一部
交代し13名5チームで継続して行ってくれます。現在金曜日放送中ですが、来月から
 月曜日に移行となります。地域の教育者と位置づけられるKITの大家さん達の心意気、金沢・野々市暮らしでの親代わりとしての深い愛情を番組から感じ取ってもらえれば嬉しいです。これからの日本に必要な若者を育て応援して行けたらと願っております。
リスナーの皆さんには「おばちゃん日記」「「大家さんのラジオ日記」同様に、大家さん手作り番組「KIT大家さんは見守り隊」ラジオ、パソコン、スマートフォンからでもご聴取・応援賜りますよう宜しくお願い致します。

二重の虹を見た。ラジオで泣けた。心がゆり動かされた朝でした。

 犬に引かれて今朝は素晴らしい虹を見ることが出来ました。

 朝6時の野々市町は雨は止んでいるものの、雨雲が空をおおっている寒くて暗い朝でした。我が家の犬の呼んでいる声に、真冬のような完全武装でしぶしぶ散歩に出かけました。

 ようやく朝日が昇ってきたのは20分程過ぎた頃でしょうか?小雨も時折落ちてくるような中に、西の空に見事な虹が見えます。野々市町の西南の田園地帯から見える虹でこんなにも綺麗な虹は初めてでした。 松任方面の上空に7色がくっきり見える。携帯でも持ってくるんだった。悔しいなぁ・・とおもってみあげてると、更にその外側にもう1本の虹が!鮮明さは劣るものの1キロ位の幅で完全に半円がみえる虹が2本。最高の空の絵画に感動を覚えました。

 8時に車のエンジンをいれると「おばちゃん日記」のタイトル曲が流れてきた。手前みそですが76.3のFMラジオを聴きながらの毎朝の通勤です。10月からナレーションが2人になり先週、今週は永瀬嘉子さんの担当週なのです。6年続いている番組なので、中島加津子さんの声に慣れているリスナーの皆さんには先週には、初めて違う声での朗読だったわけで、随分驚きと不安を与えてしまったかもしれません。どうして?という問い合わせも頂きました。そんななか、今日の日記はどうかな?とおそるおそる聴き入っていたと言うのが正直な私の心情です。

 最初の朋友荘さんは高専1年生のバイク好きの若干16歳の少年が夏休みに岐阜の実家から野々市の寮まで2百数十キロを走行した逞しさを日記に書き、2番目のベルコーポのおばちゃんは30半ばの卒業生から届いた1通の手紙から、きちんとした生活設計をしている彼に学ぶものは沢山あった・・・と結んでいる日記。最後の日記は大学1年生の夏に急に父親を無くした学生がそれを乗り越え逞しく成長し今春卒業。そして社会人となった姿を見せに来てくれた・・・4年間傍で彼を見続けていた大家さんだから書ける日記に涙が止まりませんでした。

 月曜から金曜まで毎日8時からと17時再放送でお届けしています「おばちゃん日記」聴いていただけると嬉しいです。

 

紅白帽子に体操服姿で運動会、私達は美容師軍団です。

 宣誓!私達美容師軍団は・・・と若々しい声が聞こえるのは、鶴来総合体育館。

 小学校時代の楽しかった運動会を再現したい!と、野々市町粟田にあるしみず美容室の若いスタッフが企画の呼びかけをしたもので、名付けて【第1回美容師軍団運動会】。

 今朝10時から始まっています。準備期間が短かったと言いながらも50人は集まったと言う。金沢・野々市ばかりでなく小松や富山からも参加してくれると目を輝かせて話してくれた。若い力の音楽にあわせて選手入場。宣誓があり、ラジオ体操をして玉入れや玉ころがし・障害物競争・リレーと10数年前を思い出しながら色々準備をしてきて今日の本番を迎えている。

 この子達のパワーはいったい何処から湧いてくるのだろう。技術の向上と接客に毎日100%の力を使っている。普段100%使っているから、日々ボーダーラインが上がって行き、技術もまさり、気づかいのできる、器の大きな人間性も身につけていってるんだ・・・と昨日、眩しいばかりの彼女達にしみず美容室で奇麗にしてもらいながら、元気と笑顔と前むきさを貰ってきました。

 運動会の映像をおみせできないのは残念ですが、このしみず美容室スタッフ6名の元気な声を聴いて頂くには、FM-N1の「しみず美容室の40秒CM」を聴いて頂ければ、と思います。ホントに爽やかなCMですよ。

 今どきの若いもんは・・大したもんです。先人達がしっかり仕込めば素晴らしい人材は出来ていきます。今どきのわかいものは何かを見つけたいと思っています。行動につながるように、大人はしっかり目を見開いて後押ししてあげましょう。

 

 

 

地域交流の橋渡しができたかな・・・工大祭。

 今日の金沢工大キャンパスは忙しく走り回っている学生さんで賑わっている。

  ここFM-N1の2階にブースがあるKITのWAVEプロジェクトの学生達も8時の鍵開けと同時に集まって来て以来、階段を駆け下りる音で、受付にいる私など、踏み外して落ちたのかとドキドキしてしまう位だ。

 今年の工大祭はコミュニティ道路の両側迄テントがズラリと並んでいる。去年よりは20店舗ほど多い模擬店が出るそうで新装オープンした21号館に繋がり、従来の工大祭とは様相が違って、長年見続けているものにも興奮と期待感を持たせてくれる。

 今年7月31日、野々市町のじょんからまつりの踊り大会には、町内の大学生がはじめて参加したことで、学生と町が一体となったまつりであったとおもう。

  特に金沢工大の工大祭実行委員会は3チームも踊り大会に出場し、ドリバーの着ぐるみと粟町長のツーショットなどなんとも絵になるものでした。

 そして、約3ケ月後の明日23日には工大1号館駐車場に出来た特設ステージで、今度は野々市町じょんから保存会の18名の皆さんによる『じょんから節』と『あさぎがえし』が披露される事となっています。私どもの声かけに快く応じてくださったじょんから保存会の皆さんに心からお礼を言いたいのと、地域貢献がわが社の使命と信じ放送に携わっているものとして、地域交流の橋渡しのお手伝いが若干でも出来たことに嬉しさを味わっています。           

 今日を含め3日間の晴天を祈るとともに、工大キャンパスが沢山の方でいっぱいになることを願って止みません。野々市町の伝統的なおどりをじょんからまつりで見逃した方、是非あす10時半にいらしてください。一緒に踊ってはいかがですか。

私の魅力で鳥さんがいっぱい集まるの・・・・案山子さんの悩みでした

 今年も、野々市町の農協主宰で恒例の案山子集会所が10月いっぱい開催されています。

 今年の盛夏を乗り切って、いざ収穫という9月上旬から中旬にかけては雨にずいぶん悩まされてしまいました。今でも野々市町の田んぼにはその爪あというべき、コンバインが柔らかい田んぼで悪戦苦闘した様子が残っていますよ。

 その田んぼのなかに、思わず笑顔がこぼれるのが9体の案山子さん。役場の庁舎から近い下林1丁目の田んぼに整列した案山子さんは毎朝夕と通学する小学生を見守っています。子ども達からも「ドラえもんだー」「これおでんやー」なんて賑やかな声をもらいながら楽しそうに笑顔をふりまいています。

稲がないので見張りをする案山子さんではないのですが、なんとも可憐なスカートをはいた少女まであるのですよ。アニメキャラクターなど人目を引く案山子に目的は何にせよ平和が一番!を痛感します。

朝の通勤時、笑顔がこぼれるなんていいじゃないですか。野々市が市になっても西南部地区には農業ゾーンが残ります。白山おろしの恩恵でとてもおいしいコシヒカリが毎年沢山収穫出来ることを願って、夕陽を背にして見送ってくれる案山子さんにご苦労さんと声をかけて通り過ぎている昨今です。

明日20にはコンテストの賞が決まるとのことですが、どれにも楽しいで賞をあげたいものです。月末まで展示されている案山子さんに会いに行ってみては如何でしょうか。

「おばちゃん日記」で泣き笑いしてくれてたのは・・・

   

 突然の再会は昨夜の食事時間の時でした。我が家に取材依頼の為訪ねてこられた女性がありました。 

 我が家の82歳の義母が農具をモチーフにした洋画を描いて20年余り。 2年前に傘寿の記念に最初で最後の個展と言って白山市で開催したのだが、その事もあって、ある所から季刊誌に掲載したいので・・。との話しでした。突然の申し出に狼狽する母の横でこれまた突然の再会に驚く私。

 彼女は私が嫁いでいる家とわかっていての訪問でしたが、私は突然の事で、驚きました。それにしても高校を卒業してから40年以上もたっているのにお互いが直ぐにわかり、旧姓で呼び合いテンション高く再会を喜びあいました。

 母には結構な話だから受ければいいいし、後期高齢者の皆さんの励みになれば何よりだから・と奨め、彼女の仕事の後押しが出来たかなと嬉しく思ったものです。

 その後で「ゆりちゃん今も工大?」と聞かれ、「工大でも仕事は14年前からラジオの仕事してるんや」と返事したら「えー、もしかしてFMN1!」「聴いた事ある?」「毎日勤めに行く行き帰りは必ず車で聴いてる。朝は『新篁マイディアソング』から『Aコープの番組』そして『おばちゃん日記』夕方は『東さんのフィルイン』や『馬の耳』『てくてく』に『北村内科のお医者さんの番組』とタイムテーブルを丸暗記しているようにすらすらと彼女の口から嬉しそうに出てくるではありませんか。飛び上がるような嬉しさで彼女の手を取って有難う、有難う嬉しいわ・・と言っている私に、隣にいた母も最高の笑顔を見せてうなづいてくれました。

 彼女曰く、今ではすっかりわが子も大きくなったけど、『おばちゃん日記』を聴いてハンドルを握りながら、ほやほやと一緒に微笑んだり、時には泣く事もあって、横の車の人が変な顔してる時もあるわ・・時間が30分になったね。益々楽しみに聴くねと言ってくれる。仕事冥利に尽きるとはこんな事を言うのでしょうね。

 高校の同級生と言っても、1年間だけ同じクラスであり、そんなに親しくしていた仲でもなかっただけに、昨夜の出会いは40数年の時空を一瞬にして縮めてくれ、親友だったかのようにさえ思えた彼女だった。

 嬉しい報告をしようと出社したが、中村君は月曜日は休みだった。ツイートでは山菜採りをしているとか・・・・。

 

別れと出会いは着物で

 月曜日の9時はFM-N1の生放送開始時間。8時30分から始まっていた我社の朝礼も終盤の頃に、作務衣姿の男性と大正ロマンの和装の女性が来局されました。

 「永瀬嘉子の今日も元気で!」の9時からの番組ゲストさんです。能美市寺井町の「トントンハウス」というパン屋さんのご夫妻。パン屋さんと和装の取り合わせがユニークだったので、出演前だというのに、厚かましくリサーチ開始。

 何と初出演のご主人は金沢工大の建築科の平成5年の卒業生でありました。この放送局の出来る2年半前だったので、「学生のときに、開局してたら、絶対やってましたよ!放送が大好きで某局で7ケ月間他大学の人と番組してたんです。昨日パソコンで工大生の番組聴いてたんですが1年生が随分しっかりした番組やってたんで驚きました。でも今の学生は恵まれてていいなあ・・」と懐かしそうに話すご主人。

 脱サラしてパン作りへの4年間の修行時代。楽な道のりではなかっただろうに、とても器の大きな明るい奥様の後押しで、卵も牛乳も入れない美味しいパンを作り出した素的なお二人との出会いがあった月曜日の朝でした。

 35分間の生出演を終え、再会を約束して送り出した直後、又もや和服の女性が入局。

 南加賀を元気にしたい!と、山代温泉でカクテルバーを経営する夫婦が4年前から番組制作している「フィル・イン・レディオ・フロム・カガ」の202回目の収録に来局したお二人は一寸緊張気味。店舗移設の為、今回の収録が最後と言う事で、大好きな着物姿で最終回を収録したいと言う気持ちが伝わって来ました。

 ご主人が立ち上げた番組に途中から参加した奥さんの理解と協力があってこそ、202回と言う回数を重ねることが出来たのです。自分の店のPRは殆どせず、加賀市をはじめ、小松市、山代温泉などの観光名所や人物、店舗の紹介を中心に、登山をしながらや、船や飛行場での取材、水しぶきを浴びながらの川くだり等、体当たりの取材には頭が下がりました。

 こんなに番組作りに一生懸命な東さんの夢は“加賀にコミュニティラジオ局を作る事”だった。本業の為、ひとときラジオから離れられますが私達は充電期間としてお待ちします。 見送った後に手渡された封書。そこには感謝とN1を評価してくださる文章がびっしり書かれてありました。夜の仕事との両立でさぞかし大変だったでしょう。感謝で一杯なのはN1スタッフ全員の気持ちです。長い間本当に有難うございました。

 皆さん、月曜日13時からの東さんご夫妻の番組は、後3回放送されます。どうぞお聴き頂きたく思います。尚18時30分から再放送もしております。

学生達の涙は美しかった!

 今朝(26日)第1スタジオのゴミ箱はテッシュが山盛りであった。

 先のブログで紹介されていた、工大祭特番の生放送が、25日(日)16時58分に2日間で7時間30分の放送を無事終える事が出来ました。
「親友」がテーマであったのにスタジオメンバーの冷めたメッセージがスタートした時はどうなる事か?と思わされたが7時間30分の長編映画をみるような・・否、生放送ならではのパフォーマンスが織り込まれた手ごたえのある番組となったと思う。
 
  ラジオをお聴き頂いた方にも、サイマル放送で画像をご覧になった方ならより一層、WAVEプロジェクトの放送を愛する姿、仲間意識が伝わったのではないでしょうか?。以前は、楽しくなければ特番じゃないと言ったお祭り騒ぎを主にして時間を使っていたように思うが、近年の学生達の番組は“放送”を意識したものを作ろうとこれでもかこれでもかと挑戦してくる。まだまだ喋りは拙く、予定変更にも敏感に適応出来ないが、それでも一生懸命発信しようという気概や仲間を思いやる空気が伝わって新鮮なのです。
 
 ゲスト出演の石川ミリオンスターズの森新監督さんは彼らの投げる直球にとても真摯に答え、実に良い笑顔で30分間弱を一緒に過ごしてくださったのです。パーソナリティの現リーダーは緊張と嬉しさと達成感のあまり、準備していたボールにサインしてもらう事すら忘れてしまったと苦笑いしていました。いつもチームを預かる重圧感で難しい顔をしている事が多かったので、少年のように輝く瞳で喜ぶ姿に目頭が熱くなりました。 スタジオの中の酸素が薄く成るほど大勢いた学生達に、次ぎに飛び込んで来た情報は100キロ歩行に参加したプロジェクトメンバーの女性が無事にゴールした!というものでした。歓喜に沸きあがるスタジオ内。直後、スタッフN君の機転と情熱が彼女を出演する気にさせスタジオ入りしたのです。それも一緒にゴールした親友と共に。(詳しくは25日のブログで)友情話しに貰い泣きしたメンバー達。
 
 お母さんからのメッセージが突然紹介された時の4年生で前リーダーの涙。この光景も熱く私の脳裏に焼きついて離れません。彼が泣きながら、WAVEに入って引っ込みじあんの自分が変わったこと、人前で話す事が苦手だろう母親が自分のために殻を破ってこのインタビューを受けてくれた気持ちを察して感無量で涙が止まらない。しっかりした前リーダの違う一面を目前に、またまたチームの距離がグッと縮まった。
 
 最後には、この特番の制作責任者が朗読した「親友の定義」には再び泣かされる羽目になる。
肝心の「親友」への番組詳細はスタッフのT君がブログを書いてくれるだろうと思うので、待てば良かったのですが、まだ5本しかブログを書けていない私ですが、書かずに居られない衝動に駆り立ててくれたのは学生達の美しい涙だった。
 
 FM-N1の強みは、人を思いやれるちょっぴり涙もろい学生達とスタッフ陣。
「喜怒哀楽をリスナーと共に」14年たってもぶれてない基本理念を再確認出来ました。

花は無くとも心に咲いた華

 

8時半です。「おはようございます」制作室次長の挨拶で始まった我社の今朝(55)の朝礼で  「あのー」と、何ともバツの悪そうな面持ちでKさんが話しだしたのです。「昨夜の7時ごろでした、私が帰ろうとしたら、局舎の前の花壇前にしゃがみ込んでいる中年の女性がいたんです」皆、スワ何事!と目はKさんに向けられました。「その人は花壇の花を折って左手に花束にして持っていたので、ここの花はFM-N1の人がいつも手入れしているので、勝手に持っていかれては困りますよ」と注意したらさっさと早足で行ってしまいました。」と話してくれたのです。
別のスタッフが間髪を入れずに「それは窃盗行為だ」と憤慨して「けしからん」と言われましたが、私は何故か腹も立たずに「フッ」と笑ってしまったのです。
ビル風といえば大袈裟ですが、この局舎の周辺は風が強く、おまけに花壇は駐車場を取り囲むようにしているので、排気ガス影響もあり、開局して14年目にしては何を植えても育たず、イチョウやハナミズキ、さざんか、つつじの樹木でさえ貧相な姿に後退していくのを寂しく見つめるしかなかったのです。
それが近年、雪の少ないのが影響してか、数年前から植えっぱなしだった花がクロッカスを皮切りにスイセン・マーガレット・マツバギク・ガザニア・ディモルフォセカと順々に花を咲かせてくれるようになったのです。今はコデマリも満開です。
局を訪ねてもらう人や毎日勉学に大変な学生さん達をはじめ、道行く人の目に少しでも季節感を味わって貰えたり、可愛いなと足を止めてもらえればと思っていたことが“手折って持ち帰りたい“と思ってもらえるようになったのですから、私にしては採るに値する花壇と評価された訳です。してやったりってとこです。
でもそれが「花泥棒」と呼ばれる人を作ってしまった事は、ちょっと複雑でもあります。
 花は誰かにみて貰うために一生懸命綺麗ビームを発しているのですから、その誘惑に負ける人も出るでしょう。倫理感から言えば駄目な行為なのですが、それでも採った心の弱さに同情してしまう。「無断で持って帰った花を飾っても、その人の心は満たされないでしょうね、可哀想なのは採られた人より採った人ではないでしょうか」とKさんには話して朝礼は終わりました。
でも木や花に水をやったり、草むしりをしている様子を普段みていて「世話をしている人が可哀想」と思って「駄目ですよ」声を掛けてくれた事が何とも嬉しく私の心に届いたのです。満開の花以上に豊かにしてくれました。花を手折って持ち帰った女性にお礼を言いたい気持ちで一杯です。
貧弱な花々ではありますが、FM-N1のサイマル放送(パソコンでラジオが聴ける)の番組間の2分間ステーションブレーク中の画像ショーでその花が見えますので良かったらご笑見ください。

祖母の心拍数と涙を背に感じ

 2月14日 金沢工業大学8号館3階へ。
 今日は間違いなく・・・あるある。 
 部屋のドアには『大学院修士学生 公聴会』の張り紙がしてあった。

 1ケ月ほど前、大学院2年生の松井君からメールにて公聴会にお招きを受けました。
私と松井君の接点はFM-N1の「キャンパスアメニティ」に昨年と一昨年の2回出演してくれた時以来、松井君とのメール交換が続いていたのです。
 しっかりカレンダーに書き込みました。
1週間前の土曜日、「公聴会に行ってきます」と30分の時間を貰って出かけたのです。が!8号館は異様なほど静まり返っている。足音をたてるのもはばかられる。そーっと階段を登る。
 3階に着くとどの部屋もピタリと閉ざされていて、ドアには「大学院修士入学試験」と書かれているではないか???。 1週間違えていた何ともお馬鹿な私の姿でした。

 公聴会の会場は緊迫した雰囲気。ひとりお年を召された女性がやはりかしこまりながら最後部座席に座っていました。
 休み時間になったので、その方に声賭けをしてみました。「もしや、松井君のおばあさんではありませんか?」「はい、孫が来てくれと言うので親の代わりに来ました」と恐縮されておられる。「私も、松井君に誘われてきました。素晴しいお孫さんに育てられましたね」「いえいえ、あの子は高専と工大に育ててもろうたんです」。
 話しているうちに休憩は終わり、松井君の発表の順番が来ました。張りのある声で分かりやすい説明をしていく。東京電力に就職が決まっている彼らしい研究分野だった。3名の先生からの質問にも臆せず答えていて立派でした。 背を丸めて小さくなっていた私が、発表する松井君の素晴しさを誇るかのように、いやしっかり聞かせてもらわなければとの思いから、ピンと背筋が伸びたのです。4月から社会人となっても、このしっかり人に伝えるプレゼンをして行くのだろう。同期入社のエリート達に負けないで頑張れるだろうなと嬉しく大きな拍手をおくりました。
 後部席のおばあさんの思いはいかばかりか・・。感無量のおばあさんに会釈して退席しました。
 社会に出る直前の輝き絶頂の若者と接する幸せを胸一杯にした公聴会初体験でした。

9歳でこれですから・・そんなの関係ない!なんて言ってられません

 先日いつもブログに登場するロイさんが興奮した表情で2Fのスタジオでの収録を終えゲストと共に階段を降りてきました。
 ロイ清田さんが平成8年10月からサポーター番組としている国際交流を看板にした「てくてく地球交差点」毎週水曜日放送の番組収録を終えたのは、カートレースで大活躍の9歳のイゴー君とお父さんでした。ブラジル人の両親を持ち日本で生まれたイゴー君の振る舞い、言葉遣いのどれも大人顔負けですが、高慢さを感じさせない爽やか少年でした。今年の1戦目も優勝した彼は「10月にはワールドカップを目指します」と背筋を伸ばし「有難うございました」の挨拶と笑顔を残し帰っていきました。
 見送った後もロイさんの興奮は冷めません。

「指の隙間から粘土が逃げる」 涙の生放送

 あの達人から、予想もしていなかった涙が溢れ出して、止まらなかった。それも、生放送中の出来事だった。泣き出したのは北陶主宰の陶芸家である飯田雪峰さんであった。 いつも明るく人懐っこい話し方で、笑顔の絶えない放送風景が売り物であるだけに一瞬、FMN1の第1スタジオ内は凍りついてしまった。そう言えば、今日は、冒頭から違っていたのです。飯田さんがマイクに向って口を開きました。 18センチの土鍋なんだ。1週間前から、取り掛かっているが創れない。手の指の間から粘土が逃げていくんや。何で出来ないんやろ。病気やろか? このまま、もう一生、出来ないんじゃないかとまで考えた。悩んで悩んできたが、今日で悩むのは最後にしよう。今朝の散歩中に、番組で話すことに決めてきた。恥を恥と知ることが大事だ。 越路吹雪の「枯葉」が流れ、終わった頃に、声が途切れて何度も溜め息が漏れる中、少しずつ嗚咽に変わっていった。N1のスタッフは、為す術もなかった。

「偽装ではない」本当の北海道を見た旅

 先日、北海道へ船旅をする機会があり、函館観光と夜景を楽しんできました。
今年、北海道に対して「コロッケやチョコレート事件」でとても印象を悪くしていました。正直、お土産には今までのような期待感を持てずにいました。
 バスが乗り付けるのは必ず土産品店なのですから、流れに身を任せて冷やかし半分で
試食していました。しかし、結果的には夕張メロンに始まり、毛ガニやイクラに馬糞うにと、買い占めていたのでした。
 そこ食菜市場に軒を連ねるたくさんの店の中で、素敵な出逢いに恵まれたからです。