「演歌」は「演歌」でも、「演歌違い」にご用心!
2010年5月 1日 00:30
毎週火曜日昼12時放送の「これまで針何本?」、もう聞いていただけましたか。
「まだ」という方、ぜひ一度お聞きください。日本の音楽の歴史を発見していこうとする番組です。では、今回は文字でお送りする「第1回」です。
「演歌」といえば、氷川きよしくんだとか、五木ひろしさんが出てきますね。あの「コブシ」をまわして歌う音楽です。よく「日本の心の音楽」だのと解説されることもありますが、ここでいう「演歌」は、そんなに歴史は長くありません。今から44年前1966年(昭和41年)に、初めて出てきた言葉なのです。
「そんなことはない!もっと昔からあった!!」・・・・という方のために申し上げますと、今から103年前に「演歌」という言葉が登場しています。「ほーれ、みたことか!やっぱり日本の心の音楽なんだ」と言いたくなる気持ちも分かります。でも違うのです。中身がまったく違うのです。
今ではそんな細かい解説もなくなったため、近い将来に、本当に間違った使われ方をするのではないかと心配もしています。
「演歌」とは「演説の歌」のことなのです。明治中期には、政治家が街で演説をする姿がよく見られました。そんな時に、もっと目立つ方法がないかと考えた人たちがいたのです。「演説の代わりに歌をうたう」、つまり「演説」を歌にのせて、演説調で唄ったことがはじまりだったのです。歌を歌って、人を集めて、唄本を売る。そんな仕事をしていた人たちのことを「演歌師」と呼んだのでした。
その第1号は、神長瞭月さん。21歳の青年が、街でバイオリンを持ち出して歌い始めたことでした。小さくて軽くて持ち運びもカンタンという理由からバイオリンを使ったのです。「人目も引くだろう」と考えた神長青年でしたが、何せどう弾いたらよいのか分かりません。「ギコギコ」音をさせて、なんとなく歌ってみる。これが最初でした。街行く人々は、ヘンな目で見ていきます。近寄りもしません。いつしか悪口も言われます。笑われたりもしました。しかし彼は、「これがきっと新しい発想だから今は仕方がない。きっとウケるはず」とかたくなに信じて、毎日頑張っていました。いつしか人が集まりはじめました。そして拍手がおきました。バイオリン演奏でうたう「ハイカラ節」はヒットします。歌詞カードが売れるのです。そしてその曲は全国に広がっていくのです。いつしか街には、「演歌師」が増えていきます。人気ある曲は、歌詞カードが売れるのです。1909年の出来事でした。この時代の音楽のヒットは「レコードが売れる」ではなくて「楽譜」の売上が、人気のある曲だったのです。しかしながら大衆の音楽のレベルは低い時代です。音楽作品の出来の良さ・・というよりは、作品の中身のおもしろさが重要でした。この時代の「楽譜が売れる」は、今でいう三流記事でいっぱいの「週刊誌が売れる」のレベルだったようです。神長青年の行動は、後に「路上ライブの原点」「週刊誌創刊」、そして「歌謡曲」「流行歌」の原点へとつながっていくのでした。
当時の若者を中心に大ヒットした「演歌」は、こうして世相を歌い、政治批判を歌い、実際に起きた事件を歌い、流行したモノを歌ったのでした。よって現代の「演歌」につながってはいないのです。まったく「別モノ」なのです。
そしてこのヒットを見たレコード関係者が、「演歌」をレコードにしたら売れるのではないか?と考えたのでした。大正時代の音づくりでは、あまりにも聞けたものではありません。「音楽としてのレコード」が売れるには、昭和時代に入るのを待つしかありませんでした。
2010年 4月 6日放送第1回資料より。