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「第1号歌謡曲レコード盤は何?誰?」

2010年5月12日 20:45

毎週火曜日昼12時からの「これまで針何本?」では、日本のレコードの歴史を追いかけていますが、今週(5月11日放送分)は、「エノケン・ロッパの時代」をテーマにお送りしました。6回の放送が終了して、これまで「針30本」です。

 

さて今日の内容は、「国内第1号のレコード盤は何でしょうか?」です。

 

1928年(昭和3年)に時代をリードしたメーカーはビクターでした。ビクターレコードの記述によれば、それは佐藤千夜子がうたう「波浮の港」となっています。資料によれば昭和3年2月24日、作曲した中山晋平のピアノの演奏で佐藤千夜子がうたい、ラジオで全国放送され、5月に発売されたとなっています。日本ビクター蓄音器株式会社の第1回のレコード、日本初の商業用レコード1号・・・なんて表記もあります。こうなれば当然、誰も文句が言えないでしょう。佐藤千夜子の「波浮の港」が第1号である、といった記述がインターネットでもほとんどがそうなっています。実際には、商業用レコードの発売にいたり、初めて作った「新譜注文書」の第1号が、5月新譜だったわけです。つまり第1回新譜注文書の記録により、この作品が第1号に認定された、というわけです。

 

ところがその3カ月前に、藤原義江が「出船の港」を発売しています。最新のレコード録音技術を知るために、いち早くアメリカに渡り、レコード吹き込みをしたのです。作詞は時雨音羽、作曲は中山晋平です。しかしビクターでは、米国ビクター扱いとし、赤盤レーベル(いわゆる洋楽扱い)として、この作品を第1号と認定しなかったのです。また新譜注文書のない時代です。作詞・作曲は日本人、藤原義江は、父がスコットランド人ではあります。作品はもちろん日本語で歌っています。なのに邦楽扱いではなかったのです。いや、邦楽・洋楽という問題を抜きにしても、この作品が「波浮の港」の3カ月前に発売されているのに第1号には認定されなかったのです。新譜注文書といった記録が残っていることを重視し「波浮の港」になってしまったのでしょうか。それとも「洋楽扱い」作品は、第1号に認めなかったのでしょうか。結局、藤原義江は、この年8曲の赤盤のリリースのあと、青盤、黒盤の扱いとなっていきます。つまり最後は邦盤扱いというわけです。なんだそりゃあ・・・。

 

つまり昭和の歌謡曲の発売の第1号は、藤原義江「出船の港」、そして商業用認定レコードの第1号が、佐藤千夜子「波浮の港」というのが正しい気もします。それが時代ともに、細かいことは抜きとして、第1号は「波浮の港」となったのでしょうか。

 

ここで「待った!」をかける作品も登場。マイナーレーベルからの発売は、第1号にはならないのでしょうか。現在存在しないメーカーの記録を、無視してはいけない気もします。日蓄レコードから発売された二村定一・天野喜久代が吹き込んだ「あほ空」が、「波浮の港」と時を同じにして発売されていたのです。そんなバカな!その作品は、ビクターから10月に発売されている。だから「波浮の港」こそ第1号・・・。

ビクターの記録では、確かにそうなっています。しかし他者メーカーの記録までは分からないということでしょうか。「青空」という作品は、間違いなく5月新譜として「日蓄レコード」から「あほ空」のタイトルのもと発売しています。その後、ビクターレコードが二村定一と契約をし、ビクター盤は、二村ソロでの収録「青空」が10月に発売、さらには、日蓄から権利を獲ったコロムビアが、二村・天野デュエットの「青空」をやはり10月に発売しているのです。

 

 

ビクター、コロムビアといえばその昔からチカラがあり、現存するメーカーです。その2社の記録だけを追いかけると、「青空」という作品は、あくまで昭和3年10月に発売したヒット作品であるというだけの記録になってしまうのです。消えたメーカーには「口なし」ということでしょう。少しでも正しい記録を残したいものです。

 

結局、

藤原義江 「出船の港」  昭和歌謡・洋楽扱いの第1号レコード

 

佐藤千夜子「波浮の港」 商業用レコード認定第1号・ビクター邦楽第1号レコード

 

二村定一・天野喜久代「あほ空」 日蓄レーベル・昭和歌謡邦楽第1号レコード

 

ということでしょうか。

何だかいろいろな第1号レコードが存在すること自体不思議ですが、あなたはズバリ、日本の歌謡曲第1号レコードとして、どの作品を認定しますか?

 

2010年4月13日放送第2回資料より