「男役は、宝塚が一番早かったが・・・」
2010年5月21日 11:49
毎週火曜日昼12時からお送りしている「これまで針何本?」。5月18日(火)放送では「新民謡の時代」をお送りしました。曲名に音頭・行進曲がついた作品をお送りしました。これで第7回の放送を終えて「針35本(SP作品紹介35曲)」です。
では今回のテーマは 「男役は大人気!一番早かったのは・・・?」 です。
戦前、空前の人気となった少女歌劇。宝塚少女歌劇で「モン巴里」が大当たりし、次々とレビュー形式の作品が登場しました。1927年(昭和2年)に「レビュー」という言葉が登場、豪華な衣装も話題となり、また「ラインダンス」が初めて登場したのです。「モン巴里」でのラインダンスは、汽車の動輪に見立て話題になりました。
ところで「男役」が登場したのは、1930年(昭和5年)の「パリ・ゼット」。「男役」の登場は、宝塚が一番早かったのです。しかしながら、女性は髪が長い。仕方がないので、「シルクハット」の帽子の中に髪をつめこみ、正直なところ、少女のかわいらしさが残ったままで、「男」には見えないスッキリしない「男役」を演じていたといいます。部屋の中のシーンでも、シルクハットをかぶっている演技に、違和感を感じながらお客さんは見ていました。
当時ライバルとして頑張っていたのが松竹少女歌劇でした。違和感をなくすためには、髪を切るしかないと考えたのです。しかし、この時代において、女性が髪を切るということは考えられない行動をすることに匹敵します。宝塚では、団員から反対の声もあり、違和感ありだが仕方なく演じていました。そこで決断をしたのが松竹の人気スター、水の江滝子でした。
松竹は「ダブルトップの時代」と言われ、人気の二人、水の江滝子とオリエ津阪が、理髪店に入って髪を切りました。決断をし、同時に髪を切ったのです。一番驚いたのは、きっと理髪店のマスターだったでしょうね。女性の髪を切ることに罪悪感まで感じたでしょう。断髪の披露は、水の江滝子が先になりました。
ところが、現在の記録では「初めて断髪した男役」は、宝塚の門田芦子(かどた・あしこ)になっているのです。「宝塚で最初の・・・」であれば間違いではありません。時代は過ぎていつしか「日本で初めての・・・」にかわっていくのです。人の記録ミスは記憶ミスになってゆくのです。
水の江滝子の単行本「ターキーの自画像」という本の中で、松竹が注釈を入れています。これが間違いのもとだったのです。本には「最初の男役」と書かれているのです。これは宝塚が最初です。つまり間違えた解説を載せてしまったのです。この本は、ベストセラーとなったのですが、ここで誤解が生まれたわけです。そして今日へと来たのです。つまり正確には「最初の断髪男役」という注釈といれなければいけなかったということです。
よって
日本で初めての男役は 1930年・宝塚で登場(誰だったのでしょうね?)
日本で初めての断髪男役は 1930年・松竹の水の江滝子
宝塚で初めての断髪男役は 1932年・門田芦子
ちなみに「男装の麗人」といわれ、男役が大当たりした戦前のスターは、宝塚の葦原邦子でした。彼女の演じた男役は、演技での基礎的なスタイルを完成させ、現在の男役の出発点ともいえます。
今では宝塚の人気が圧倒的であり、そんな話しをする人もいなくなったようです。しかしながら、もっと問題なのは、華やかな舞台を飾った主題歌(特に戦前)作品が消え去ろうとしていることです。戦前にレコード化された少女歌劇の主題歌は、私が分かっただけで、宝塚で305曲、松竹で152曲あるようです。これがなくなってしまうと、戦前の流行歌の歴史にも影響がありそうです。
2010年4月20日(火)、27日(火)番組放送第3回、第4回資料より。