「ラジオが最初に紹介した歌謡曲はレコード化されていた!」
2010年5月28日 23:25
毎週火曜日昼12時から放送中の「これまで針何本?!」。5月25日(火)第8回の放送は「映画主題歌は本当に売れたのか?」をテーマにお送りしました。これまで針40本です。(SP作品40曲紹介)
今日のこのコーナーのテーマは
「ラジオが最初に放送した流行歌は何だったのでしょう?」です。
店先では、国内レコード盤発売に併せて「流行歌発売!」なる貼り紙がなされました。「流行歌」はレコード店から生まれた言葉です。その他にも「はやり唄」「ジャズ・ソング」「新民謡」「新小唄」といった言葉も登場しました。ちなみにラジオは、それらを区分けすることなく、すべてを「歌謡曲」と呼びました。つまり「歌謡曲」という言葉はラジオから誕生したのです。
そんなラジオ放送は、1925年(大正14年)に放送がスタートしました。当時の番組は、「寸劇」「ニュース」「民謡」「落語」「解説」「勉強」そして目玉は、放送終了時間に発表する「天気予報」でした。そんな編成の中に、「ジャズを放送しよう」という動きがいつしか出てきたのです。
昭和2年の夏のことでした。中学卒業後、アメリカに留学した堀内敬三が、あらゆるジャンルを身につけて帰国したのです。局側は彼にお願いをしました。「番組内でジャズを演奏したいが、どうすればよいだろうか?」。相談を受けた彼は楽譜出版社へ出かけ、そこで見つけたものは、アメリカから輸入した「あほ空」と「アラビアの唄」の楽譜でした。さっそくその2曲に日本語詞をつけたのです。つまり日本語で歌えるジャズが誕生したのです。よってラジオでジャズを放送する空気も一気に出来上がったのです。東京ブロードキャスターズというバンドも誕生しました。そして2人のヴォーカルが決定、天野喜久代と二村定一が選ばれたのです。その理由は簡単で、二人とも所見で楽譜が読めるからでした。こうしてラジオとジャズソング(歌謡曲)の歴史がはじまったのです。
1927年(昭和2年)12月から「あほ空」が放送開始。1928年(昭和3年)3月には「アラビアの唄」も放送開始。ラジオから流れるジャズ・ソングに、ダンスホールは賑わい、カフェーでも店内に大きく鳴り響いたのでした。
昭和3年という年は「国内盤レコード発売年(流行歌発売年)」です。3月19日にラジオから流れた「あほ空」は、日蓄レコードによってレコード化され、5月第1号新譜として発売されたのでした。しかしながらあまりにもマイナーレコードだったため、数は売れていなかったようです。結局、この曲は大手メーカーであるコロムビアによって買われ、二人のレコーディングによって10月に再発売、さらにはビクターから二村定一ソロ契約による、リズムテンポ早めの作品が発売されたのでした。
よって現存する記録によれば、ラジオオンエアー第1号歌謡曲は「あほ空」と認定してよさそうです。
2010年4月13日第2回放送資料より