「デビュー曲は何曲?」
2010年7月 2日 20:59
毎週火曜日昼12時からの「これまで針何本?」。6月22日第12回放送分では「レコード音楽が大きく動いた年・昭和9年」をテーマに、6月29日第13回放送分では「レコードメーカー4強時代、テイチク登場」をテーマにお送りしました。これまで針65本です。
さて今日のテーマは「デビュー曲は何曲までか?」「デビュー曲の定義は?」です。
「何をほざいている!新人賞が一生に1回しか獲れないのと同じで、デビュー曲は1曲に決まっているではないか!」・・・・まあ、普通はそうですよね。最近でよくあるのは、バンドアーティストが解散し、ソロ歌手になると「デビュー曲」ということがあります。とするとこの人は2回新人賞を獲る権利があったことになりますね。
では本題にはいりましょう。今日の研究テーマはその昔、藤山一郎という歌手がいました。この人は賞獲りレースがあったならば何回獲得できたでしょう?
藤山一郎のデビュー曲は「キャンプ小唄」(1931年7月)となっています。コロムビアレコードでアルバイトをしていた増永文夫青年は、学校にアルバイトがばれてはいけないので、芸名・藤山一郎を名乗っていたのです。アルバイト料は、1曲15円。当時はレコードの売り上げ枚数に関係がなかったので、学校にバレないよう、つまりデビュー作品は「売れないで!」と願っていたのです。自分の歌った曲が売れなくてもよい・・なんて考え方をすること自体、今は考えられないですね。
そこでちょっと待った!をかけるのが、ビクターレコード。確かに藤山一郎の名前でレコードは出していたかもしれないが、所詮アルバイト。わが社は、プロ契約ですから。1933年その第1号作品は「僕の青春(はる)」。これこそデビュー曲でしょう。ただし、この曲は全然ヒットしませんでした。賞レースがあったならばノミネートすらされなかった感もありますが、さてどちらがデビュー曲と考えればよいのでしょうか。
そして時代はイタズラだらけです。今日ではなくなってしまったマイナーレコードには発言権はないのでしょうか。マイナーA社は言う。悪いけど増永文夫青年は、ウチでレコードを出しているんだよね。「慶応普通部の歌」「慶応幼稚舎の歌」を1930年に吹き込んでいるんだよ。声を調べれば分かる、間違いなく藤山一郎・・いや増永くんの声である。だからこれがデビュー曲だ。さらにB社登場。バカなことを言っては困るね。うちでは増永青年は藤村二郎の名前で「美しきスパニッシュ」「日本アルプスの唄」を吹き込んでいる証拠のレコード盤が、いまも残っているんだよ。
増永文夫、藤村二郎、藤山一郎(アルバイト・プロ)といろいろなカタチでレコードを出してきたわけです。全部デビュー曲にしましょうか、どうしましょうか・・・?。
2010年6月15日放送第11回資料より