つきみるつきはこのつきのつき
2012年8月28日 20:07
いつもはエヌワンの立派な箱バン、ドリバー号で相棒ドリバーと野々市探索をしますが、たまには一人で歩こうと思います。
再来月、10月14日の日曜日に「北国街道 野々市の市」がひらかれます。昨年も行われたこのイベントは、野々市市本町3丁目の本町通りを歩行者天国にし、約20の出店が沿道に並び、通りでは野々市じょんからの踊り流し、また本町地区の祭礼とかさなることから、野菜みこしや獅子舞などが披露され、市のにぎわいを再現します。市のにぎわいというと、時代は中世。富樫氏が加賀国の守護として勢力をもち、富樫の館と隣接するように大乗寺が建立されていたといいます。つまり政治、経済の中心であるとともに、仏教という宗教文化の中心地であったのでしょう。また北国街道と、現在の金石にあたる宮腰の港から白山へ伸びる白山大道が交わる北加賀の十字路の名が残っていることからも、ここ野々市には人や物が集まり、栄えていた姿が思い浮かびます。
その本町通りの布市神社には、歌碑があります。‘風をくる 一村雨に虹消えて のゝ市人は たちもをやます’と刻まれています。中世、白山や石動山など修験道の結束強化を図るため北国や東国を巡歴した聖護院道興が野々市で詠んだものです。道興はこの歌を詠んだあと、津幡に宿し能登路に入ったといわれています。以前、この話は局の上司から聞いたことがありました。そしてその時に、中心地に立ち寄る前に野々市の別の場所でも歌を詠んでいると聞いていました。実はワタシはそれがずっと気になっていました。
今日何気に平成17年に発行された「図説 野々市町の歴史」に目を通していると、道興の歌について書かれた記述がありました。野々市市の矢作の神社に歌碑があるというではありませんか。早速、住所を調べ向かいました。矢作1丁目の藤岡諏訪神社です。奥に進むと左手に歌碑がありました。そしてこう書かれていました。
‘こよひしも矢はきの里にゐてそみる夏も末なる弓張月’
弓張月とは、月の満欠で半分ほどみえる姿の呼称です。文字通り、弓を張ったようにみえる様からそう呼ばれたのでしょう。そんな月を思いながらもう一度歌碑をみたときハッとしました。矢はきの里・・今は矢作と記しますが、矢と関係があるのではと思い、すぐに調べてみました。すると古くは木や竹を削り矢を作る職業団体を矢作部といったそうです。この矢作にはそんな職人が多くいたのでしょうか。‘矢はき’の地で弓張月を眺める縁を感じ、一句ひねったのかもしれません。あくまで勝手な憶測に過ぎませんが・・。
道興の歌ではありませんが、‘夏も末’に興味深い歌碑を見ることができました。たまには車を降りて市内を歩くのもいいですね。みなさんは「北国街道 野々市の市」でどうぞ歩行者天国を満喫して下さい。また新たな発見があるやもしれません。
ワタシは今日置いてけぼりのドリバーをデートに誘おうか・・。