~野々市町から全国へ、世界へ~
FM-N1では、野々市町の行政広報番組「マイタウンののいち」を、月曜日から土曜日まで毎日放送しています。土曜日の番組(土曜午前11 時~正午)では、「はばたけ!のゝ市人」と題して、町に在住、または、ゆかりの各界で活躍する方々を紹介しています。「のゝ市人」とは、中世、この地に立ち寄った修験僧で歌人の聖護院道興が詠んだ歌に記された言葉です。
「一流」の本来の意味は、「他がまねをできない独自の存在」、今の言葉で言うとオンリーワンです。必ずしも一番や頂上を目指すのではなく、独自のスタイルと存在を貫く「のゝ市人のオンリーワン」を紙面で再録します。
脱サラUターン、
町でただ一人のシイタケ栽培農家に
安原 透さん (郷町・46歳)
背広姿の安原透さんに初めて会ったとき、どこかの大きな会社のサラリーマンかと思いました。それもそのはず、十数年、薬品会社で働き、背広姿が今も板に付いているからでしょう。安原さんは10年前に生まれ故郷に戻り、シイタケ栽培を始めました。
実家は代々農家ですが、シイタケ栽培は安原さんが初めて、しかも野々市町ではただ一人という挑戦でした。
「昔から山を歩いて山菜取りをすることが好きで、なんとなくやろうと思いました。幸い、実家には田んぼがたくさんありましたから」。
サラリーマン時代に知り合って結婚した美由紀さんも賛成してくれました。実家に隣接する自宅の裏にビニールハウスを3棟建て、夫婦二人三脚で栽培を始めました。
しかし、最初は温度管理などがうまくいかず、思うようなシイタケができず、苦労の連続だったと言います。
今ではその苦労が実り、満足できるシイタケを生産できるようになり、経営も安定してきました。「野々市町で作ったシイタケを町の皆さんに食べていただければ」と、地産地消を追い風に野々市産シイタケに力を入れる安原さんです。
カヤック競技世界ランク6位。
一度は頂点に立ちたい
石原 亨さん (中林2丁目・36歳)
カヤック競技には、いろいろな部門があります。その中で、カヤックを回転して乗り手が水の中につかってまた元に戻り、その技の正確さや姿の美しさを競う競技が「スクオート部門」です。
石原亨さんは、このスクオート部門で昨年の世界ランキング6位、最高で2位にまでなった実力者です。あいにくオリンピック競技ではないので、知名度はそれほど高くはありませんが、カヤック競技では「世界のイシハラ」の名で知られています。
石原さんがカヤックを始めたのは二十歳のときでした。金沢市郊外の倉ケ岳にある小さな湖で教室が開かれ、それに参加したことがきっかけでした。
「教室に参加する前に、ビデオなどを見て、体の動きをイメージしていました。初めて乗ったときもイメージ通りの動きができ、自分が求めていたスポーツはこれだ、とうれしくなりました」。その後、国内の大会で優勝し、世界大会でも連続して上位に入るようになりました。
「あと残された目標は世界大会の優勝のみです。予選では1位になったこともあり、優勝に向けて力を尽くしたいと思います」と、練習に励んでいます。
安定した農業研究員を辞して
花卉栽培農家の道を
福田 康浩さん (中林3丁目・45歳)
人口が増え続ける地球全体が今の日本のように豊かな生活をすると、地球は壊れてしまいます。収入は少なくてもハッピーに暮らせると思い、安定した公務員から転身しました。
ビニールハウスに現れた福田康浩さんの表情は生き生きとしています。福田さんは、13年前に石川県農業研究所の研究員を辞め、花卉栽培を中心にした農家に転じました。
「周りから物好き、変わり者と言われましたけど、僕の中にはやはり以前に旅した世界の強烈な印象や思い出がありました」と福田さん。
旅が好きな福田さんは大学時代、ネパールやインドを1年近くかけて回りました。そこには貧しいながらも幸せに暮らす人々の姿がありました。
「みんながシンプルに生き、消費や収入が少なくても幸せに生きることができるんだ」と、確信できた旅でもありました。
福田さんは今、花卉栽培を中心に稲作や野菜栽培の「少量多品目」の農業を行い、経営も軌道に乗りました。「収入の多い少ないではなく、人の幸せは考え方次第です」と、福田さんの張りのある声がビニールハウスに響きました。