~各分野で活躍するあの人この人~
のゝ市人(ののいちびと)とは、今から約500年前の中世時代、高名な修行僧が野々市町周辺を訪れた際に、詠んだ歌に記された言葉です。単独5万人市制を間近にした野々市町は、古い歴史に育まれた町でもあります。
一方、新しい町民が増える中で、向こう三軒両隣に住む人が、意外な活動をしていたり、知られていない経歴があったりします。各分野で活躍する「のゝ市人」を紹介します。
※この企画は、FM-N1の野々市町行政広報番組「マイタウンののいち土曜版」(土曜朝11時~正午)で放送されています。その8月から11月かけて放送したものを再録しました。
市町連合町会会長
藤 力(ふじ・つとむ)さん
(野々市町高橋町、73歳)
いつも笑顔を絶やさず、温厚な人柄を慕われ、6年前から野々市町連合町会会長を務めています。生まれはお隣の旧松任市です。明治大学を卒業後、石川県出身で旧陸軍の軍人から政治家になった辻政信氏の秘書に。しかし、辻氏がラオスで1961年に行方不明になったため、日本道路公団(2005年に民営化)に勤めました。「もし政治家秘書を続けていたら今とは違った人生だったでしょうが、サラリーマンになって全国各地に15回も転勤しました」と笑います。その後、北陸自動車道の建設に伴って“ふるさと人事”で故郷に。奥様が野々市町の出身だった縁から、85年に高橋町に家を建てました。「野々市じょんから節を作詞した木村素堂さんは妻の実家の分家筋に当たります。素堂さんのことを昔からよく話に聞いていました。また、生まれたのは野々市に隣接した旧・中奥村ですから、野々市町には昔から親しみがありました」と、藤さんは来し方を振り返ります。
のっティ応援隊隊長
岡田 博久(おかだ・ひろひさ)さん
(白山市長竹町、32歳)
野々市町清金に隣接する白山市域に住むが、自宅近くを走るコミュニティバス「のっティ」の写真を撮り始めたことをきっかけに、広くのっティの良さを知ってもらおうと「のっティ応援隊」ホームページ開設や「のっティファンクラブ」の活動などを行っています。
野々市町家庭教育サポーター
任田 美智代(とうだ・みちよ)さん
(野々市町粟田3丁目)
平成18年から、野々市町内の保育園で子育てを応援する家庭教育サポーターとして、町内の保育園で活動しています。現在は自宅に託児施設のスペースを設けて、託児サービスを行っています。
金沢星の会事務局長
長 兼弘(おさ・かねひろ)さん
(野々市町粟田1丁目、51歳)
博覧強記(はくらんきょうき)。博学の人を、畏敬の念をこめてこう呼びます。長兼弘さんはまさに博覧強記の方です。特に、星や天体にかけては専門家からも一目置かれています。小学校低学年の時に星や太陽に興味を持ち、自分で天体望遠鏡を作って以来、空の観察を続けてきました。この夏には、情報交流館カメリアの「放課後こども教室」の講師に招かれ、子どもたちと一緒に手づくり天体望遠鏡を作り、大好評でした。「天体観測では細かい分析も行いますが、私の場合、見て楽しむだけなので天体観察と言っています」と長さん。生まれは京都。金沢工大を卒業して、縁あって野々市町で結婚して住み着き、本業は、編集関係の仕事をしています。